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オーディオブック(ベータ版)

 

リディラバジャーナル(Ridilover Journal)

 

 「読むことであなたの社会への関心が広がっていく」


「あなたと社会の関係性が可視化され、ときには、あなたと社会の関係性が再定義される」

 

リディラバジャーナルでは、 そんな体験をお届けしていきます。

 

はじめまして、リディラバジャーナル編集長の安部敏樹です。
 

 

このメディアはリディラバという、社会問題の現場を訪れるスタディツアーを提供している団体が運営しています。我々は8年以上(※2018年1月 創刊時点)、社会問題の現場に足を運び続け、現場の方から話を聞いてきました。

 

社会問題を見続けてきたリディラバの知見をもとに、問題の背景にある社会構造まで踏み込んだ記事を提供するメディアが、リディラバジャーナルです。

 

 ……とまぁ、真面目な感じで冒頭文を書き出しましたが、このメディアが目指しているものが何なのか。結論としては、皆さん、ぜひとも助けてくれよ、って話になるのですが、そこに至るまでの道のりを私のライフヒストリーにも少し触れながら書かせてください。

 

大事なことだから言っておくと、リディラバジャーナルの記事は決してこういうテイストではないです。

 

【編集部注:ここからは、編集長安部の極めてパーソナルな語りが続きますが、すでに応援を決めた方はこちら】

そもそもオレって社会問題だったの?

10代半ば、あることを機にオレは家を出た。別に家を出たと言ってもそんなかっこいいものではなく、オレが母親を殴ってしまい家を出たというだけであり、基本的にこの件に関して、私は加害者であり被害者的要素は全くない。全くというと嘘があるような気もするが、まぁとりあえず概ねオレが悪い。

 

その後は、横浜の路上で仲間とつるみ、学校にもいかず、ロクでもない日々を送っていたのだが、今振り返ってみると、オレはなんであんな感じの10代半ばを過ごしていたのだろうか。

 

なぜあの日、オレは家で暴力を振るってしまったのか。


そもそもオレは、いわゆる「非行少年」という「社会問題」だったのか。


家庭環境のせいでどうしようもない奴に育った、というのも違う気がする。

 

「オレみたいな問題起こす奴は、なぜ生まれるのかを解き明かしたい」

 

とにもかくにも、その答えを見つけたい。

 

そしてそれは自分以外の誰かの答えにも繋がるかもしれない。


「社会問題」という堅苦しくて取っ付きにくいテーマに没頭する理由だ。

自己責任論の限界

オレ自身の経験と、リディラバでの8年間(※2018年1月 創刊時点)の経験をあわせて考えてみたとき、あんまり社会問題と相性がよくなさそうな考え方がある。

 

社会問題を抱えるようなやつはそいつ自身に問題がある、と考える「自己責任論」というやつだ。

 

そもそも、だ。


当事者が自分で解決できるような問題だったら、『社会』全体の問題になっていない。
 

同じような環境に置かれたらほとんどの人が自力で解決できないから社会問題なのだ。なのに、自己責任の名の下に、当事者に解決までの道のりを押し付けるってのはどうなんだ?

 

加えて、自己責任の範囲で頑張るべきラインを超えているか、否か、というのを厳密かつ客観的に把握するのはかなり難しい。

 

「生活保護受給者は甘えている」


「怠けているからホームレスになったんでしょ」


「病気になるのは自己管理ができていないからだ」

 

その人達の生活だけを見ていたら自己責任のように思える事も、裏側にある構造まで知っていくとそう思えなくなる。

 

裏側の構造まで知ると、自己責任ではないことがわかるわけだが、じゃあ、その構造をオレたちは知ってるだろうか。
 

複雑な社会と閉じこもる個人

おそらく、多くの人は複雑な事情や構造までは知らないのが現状だ。なぜか。

 

昔は問題がシンプルで、その構造も、解決の必要性も、みんなが納得できる社会問題が主流だった。しかし、現代は個人の権利は大きくなり価値観が多様化していき、何が問題かをみんなで共有し納得するのが難しくなってきた。これが大きいと思っている。

 

一方、こうした問題の共有のために存在するメディアにも、課題が生じている。


メディアは、多数の人の利害関係が絡む複雑な社会問題を、だれでも理解できるようにと『Aが加害者』『Bは被害者』のように単純な二元論に落とし込んで報道する。

 

問題が報じられても、過度に単純化された構図では、問題の本質的な理解には繋がらないままだ。

 

ひるがえって、オレたちの情報感度はどうだ。

 

もはや日々の暮らしと切り離すことのできないインターネット。

 

検索サイトやSNSのアルゴリズムは、自分が「見たい情報」「都合のいい情報」だけを提示し、テレビ番組は視聴者を馬鹿と決めつけて不倫の話ばかりする。

 

 

 複雑化・多様化している社会問題と、自分の興味・関心の殻にこもっている個人。両者をうまくつなぐことのできないメディア。全ての歯車がウマく噛み合わない。そういう時代なわけだ。
 

 

権力の監視から社会システムの検証へ

社会問題の複雑化・多様化は時代の変化が生み出した、とても現代的な問題だ。だからこそメディアに求められる仕事も変わってきている。

 

これまで、人々がメディアに求めていたのは「権力の監視」だった。


権力の濫用によって、社会問題が引き起こされてきたからだ。

 

しかし、現代社会では、多くの社会問題が「社会システムの欠陥」で起こるようになってきている。権力の監視だけしていても、社会問題の発生を防ぎ、解決することはできなくなっているのだ。

 

だからこそ、今、社会問題を解決するためには、「社会システムの欠陥」がどこにあるのか、検証し明らかにする必要があるんだ。

 

 

リディラバジャーナルでは、社会問題を「構造化」することで、この社会システムの欠陥を明らかにしていく。 

 

構造化された記事を通して、
▽社会システムのどこを変えれば問題が解決するか
▽自己責任論では問題が解決しないのはどうしてか

 

といったことを明らかにしていければと思っている。

 

 

オレは問題の裏側を知ってもらうことで、人の思いやりや優しい気持ちが、ストレートに問題解決に繋がっていく状態を作りだしたい。

 

誰もが問題解決を望んでいるけれど、知らないからこそ冷たくしてしまう。意図せず傷つけてしまう。

 

 そんな現状を変えていくメディアを目指していければと思っている。

 

このジャーナリズムはオレたちだけではつくれない。

最後に、ぜひとも助けてくれよ、という話をさせてほしい。

 

リディラバジャーナルは、月額課金制のウェブメディアだ。なぜこのかたちをとったのか。「みんなでつくるジャーナリズム」を、日本に根付かせたいと考えたからだ。

 

現在、「社会問題に特化し、読者からの購読料で成り立っているメディア」を探したとき、国内にも海外にも見本はない。だけど、社会問題が多様化・複雑化した現代において、必要なメディアだと確信している。

 

読者からお金をもらうモデルにするかはかなり葛藤があった。

 

リディラバは『社会の無関心の打破』を掲げている。それなのになぜ、誰でも見られる無料メディアではないのか。誰でも読めるスタイルの方が、社会の無関心を打破できるのでは、と。

 

 「無料」というのは甘美な響きだ。オレも最高に好きだ。人にも勧めやすい。

 

だけど無料でやってたんだよ。リディラバは元々。


設立から6年間、ボランティア組織だったんだ。

 

でもそれじゃ変えられなかった。

 

だからオレはみんなに共犯者になってもらいたいと思うようになった。

 

関心のある人たちに一緒にリスクをとって購読してもらい、しっかり考えてもらう。

 

そしてエヴァンジェリスト(伝道師)になってもらう。

 

 エヴァンジェリストの人たちが周囲に薦める場合には無料で記事が読める。

 

エヴァンジェリストの人たちと一緒に、社会の無関心を打破していく、そのためのシェア機能を実装した。

 

この仕組みがうまく行くのかはよくわからん。

 

メディア関係者に聞いたらみんな無理だろう、って言う。

 

それでも個人と社会がますます離れ、分断していく現代。


分断を繋ぎなおしていく人が、今とても強く求められていると思う。

 

リディラバジャーナルは、この分断を繋ぎなおしていく人たちを増やすために尽力したい。


みなさんと一緒に、このチャレンジを続けさせてもらえると嬉しい。

 

 

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