リディラバジャーナル(Ridilover Journal)

はじめまして、リディラバジャーナル編集長の安部敏樹です。

 

この「リディラバジャーナル」はリディラバという、社会問題の現場を訪れるスタディツアーを提供している団体が運営しています。我々は10年以上、社会問題の現場に足を運び続け、現場の方から話を聞いてきました。

 

そんな社会問題を見続けてきたリディラバの知見をもとに、問題の背景にある社会構造まで踏み込んだ記事を提供するメディアが、このリディラバジャーナルです。

 

「読むことであなたの社会への関心が広がっていく」

とともに、

「問題の構造を知る人を増やすことで人の思いやりや優しい気持ちがストレートに問題解決に繋がっていく社会をつくる」

 

そんなメディアを目指しています。

 

 

……とまぁ、真面目な感じで冒頭文を書き出しましたが、なぜこのメディアを始めたのか。そして結論としては皆さん、ぜひとも助けてくれよ、って言う話になるんですが、そこに至るまでの道を私のライフヒストリー的なものとかも少し触れながら書かせてください。

 

ちなみにこれめっちゃ恥ずかしい上に、組織人としてはあるまじき自分語りをするのでそのうち消します。色々紆余曲折があったらこうなってしまったんだ。察してくれ。

(編集部注:予想外に人気なので残すことにしました。)

 

リディラバジャーナルが有名になったときに、あのクソみたいなページを見た事あるよ、っていうのが歴史的な価値が残るように頑張りたい。大事なことだから言っておくと、けしてリディラバジャーナルの記事はこういうテイストではない。

 

そもそもオレって社会問題だったの?

10代半ば、あることを機にオレは家を出た。
別に家を出たって言ってもそんなかっこいい感じで冒険に出かけるみたいな話ではなく、また今仕事で社会問題扱っているからってオレは社会問題の被害者でした的な美しい話でもない。

 

普通にオレが母親を殴って家を出たというだけであり、その際には道具なんかも使っていたと言う意味でも悪質性は高く、基本的にこの件に関して私は加害者であり被害者的要素は全くない。全くというと嘘があるような気もするが、まぁとりあえず概ねオレが悪い。

 

ちなみに母親は救急車で病院に運ばれ、その際になぜかオレが付き添うというカオスな状態であった。救急隊員の人は最初色々と質問してきたけどまぁ何となくいろんな事を察してくれたようであんまり深く聞かないでくれた。ちなみに最初に彼に聞かれた事は


「どうしたんですか?」

 

であり、
オレの返事は

 

「いや、なんか外からボールが飛んできて……」

 

ってんだから無理がある。

マンションの室内に外からボールは飛んでこない。

 

ちなみにオレには親父がいた。いや、今もいる。今はきわめてニコニコ顔の好々爺だが、昔は凄い亭主関白のハラスメント野郎であった。普段は人情派で通っていたが非常に気の短い男で、切れると顔を真っ赤にし、しかもつるっぱげなもんだから頭まで赤くなってタコみたいになる男だ。

 

彼はこの事件の1年ほど前に、なめ腐っているオレに対して激昂しすぎて目の裏の血管がちぎれて目が真っ赤になり一時期目が見えなくなった。それ以来、「オレはお前の教育を放棄する」とエラそうに宣言して同じマンションの別の部屋に住み始めた。なのでこの事件のときにも家に一緒に住んでいるとは言いがたい状況であった。

 

家を出るとどこに行くかと言うと、親父の方のばーちゃんの家に行った。
これには理由は色々あるが端的に言うと一番大きかったのはケータイを手にする為だ。一人で生きていくには携帯電話が必須。なんかわからんが直感的にそう思っていた。


しかし未成年がケータイを持つには判子が必要であり、その判子を最も簡単にチョロマカして手に入れられそうなのが父方のばーちゃんであった。本当にばーちゃんには世話になった。

 

ちなみにばーちゃんはおそらく未だにオレの家庭での事件についてはよく知らない。おとなしいタイプの女性で、そんなことを知ったらひっくり返ってしまう。孫であるオレも、子どもである親父も、認識は一緒だったようで結局伝えないまま30にもなってしまった。

 

ろくでもない人間というのは基本的に居場所がない。
オレにも居場所がなかった。なんでかわからん。家にも、学校にも。


ばーちゃんの家にいると自分の祖父母の初夜の話を含めたループ&ループの昔話を聞かなければならず、しかも向こうはこっちがちゃんと学校に通っていると思っているんだからそこにも無理がある。

 

なので段々と「実家に寄る」と言ってばーちゃんの家にも帰らず横浜や伊勢佐木町の周辺でタムロしたり酒を飲んだりその他色々と悪い事をするようになった。


既にケータイは持っていた。すまん、ばーちゃん。

 

ちなみにこのとき、ケータイが大事だと思った直感は間違ってはいなかったらしい。
最近になり、生活保護の問題やホームレスの問題、ネットカフェ難民の問題などで現場に話を聞きに行っても、同じ話を聞く。

 

やはり電話の有無はデカいらしく、仕事の確保、住居の確保、生活保護の申請などもケータイを持っているかどうかで全然違うらしい。住所がないとケータイは持てないので、いかにそこまで取り戻すかが支援の鍵になる。

 

 

少し話はそれたが、なんというかまぁとりあえずろくでもない日々をオレが過ごしていた。そういう話だ。

 

今振り返ってみると、オレはなんであんな感じの10代半ばを過ごしていたのだろうか。

なぜあの日、オレは家で暴力を振るってしまったのか。
あの日に限った話ではないが、なんでああもオレはろくでなしだったのか。

 

そもそもオレは、いわゆる「非行少年」という「社会問題」だったのだろうか?

 

確かにうちはガキの頃貧乏だった。親父が会社を辞めて独立したからだ。
普段から「夜逃げバッグ」というのを持たされていた。何かあったらすぐ逃げられるように、自分の大事なものを一つにまとめておくバッグだ。寝るときは枕元にそれを置いて寝ろとクドいほどに言われていた。

 

林間学校に行くときは、祖母の家と従兄弟の家の電話番号を渡された。帰ってきて家族がいなかったらそこに電話しろ、と。

 

母親も親父も別に立派な人間でもなかった。タコ親父としつこいおばさんの組み合わせだ。今でも酒を飲むと喧嘩している。それでもある程度仲直りできてよかったとも思っている。お互いに成長した。

 

でもじゃあオレがろくでもない家庭環境だったからこんなどうしようもない奴に育ったのか?
それは違う気もする。

 

世の中にはオレなんかよりもよっぽどひどい生い立ちの奴らが本当に驚くほどいる。グレているときにはそう言う奴らとよく出会った。みんな意外と真面目だった。

 

オレは両親ともにいるし、別にネグレクトもされていない。今も昔も良い仲間にも恵まれている。オレがこんなどうしようもない奴になったのは、生い立ちや育った環境だけじゃ測れない何かもあるはずだ。

 

とにもかくにも、その答えを見つけたい。


「オレみたいな問題起こす奴は、なぜ生まれるのかを解き明かしたい」


そしてそれは自分以外の誰かの答えにも繋がるかもしれない。
これがオレが「社会問題」という堅苦しくて取っ付きにくいテーマに没頭する理由だ。

自己責任論の限界

オレ自身の経験と、このリディラバでの10年間の経験とあわせて考えてみたとき、あんまり社会問題と相性がよくなさそうな考え方がある。それが、社会問題を抱えるようなやつはそいつ自身に問題がある、すなわち自己責任論というやつだ。

 

そもそも、だ。
当事者が自分で解決できるような問題だったら、『社会』全体の問題になっていない。

 

同じような環境に置かれたらほとんどの人が自力で解決できないから社会問題なのだ。なのに、当事者に自己責任の名の下に解決までの道のりを押し付けるってのはどうなんだ?と。めっちゃ矛盾孕んでるだろ。

 

一方で、オレは自由が好きだ。社会の方から「お前の事情なんて知ったことじゃないよ」と突き放されるのも普段は全然悪い気はしない。自由な環境の中で、自分の責任で行動しているのだから、むしろ大歓迎だ。困ってないときは。

 

つまりは「社会問題」とは、自分に都合が悪くなったときだけ助けてほしい側と、自分たちが苦しんでいない間は助けたくない側の都合いい人間同士の綱の引き合いなのだ。しかも皮肉な事にこれは定期的に相互に入れ代えが生じる。

 

加えて、自己責任の範囲で頑張るべきラインを超えているか、否か、というのを厳密かつ客観的に把握するのはかなり難しい。

 

「生活保護受給者は甘えている」
「怠けているからホームレスになったんでしょ」
「病気になるのは自己管理ができていないからだ」

 

その人達の生活だけを見ていたら自己責任のように思える事も、裏側にある構造まで知っていくとそう思えなくなる。

気づけばオレも冷たい視線を投げかける大人になっていた

ちなみにオレは10代の若かりし頃、大人というのはすべからく腹の立つ相手であり、倒すべき存在であると思っていた。そしていつか自分が大人になるという事を非常に恐れていた。


大人というのはなんか冷たい人たち、というイメージが強かった。

 

ところが実際に大人になるにつれて、自分に関係のない社会問題に対して、昔オレが受けていたような冷たい視線を投げかけてしまう自分もいた。
そんなつもりはないのに、その問題がわからないが故に冷たく見てしまう自分を見て、昔手を差し伸べてくれなかった大人たちの気持ちが少しだけわかるようになってしまった。
そうか、あの大人達も悪気はなかったのか、と。

 

オレも含め、大人ってのは、困っている人々へのやさしさを失った、冷たい人間なのだろうか。そうではなくて、ただ、それぞれの問題の背景にある、複雑な事情を知らないだけなんじゃないだろうか。

 

そう思って2017年の夏、クラウドファンディングを始めた。このリディラバジャーナルを「大人の学校」と称して立ち上げるために。

複雑な社会と閉じこもる個人

じゃあなぜ俺たちはその複雑な事情を知らないままでいるんだろうか。

 

昔は問題がシンプルで、その構造も、解決の必要性も、みんなが納得できる社会問題が主流だった。しかし、現代は個人の権利は大きくなり価値観が多様化していき、何が問題かをみんなで共有し納得するのが難しくなってきた。これが大きいと思っている。

 

一方、こうした問題の共有のために存在するメディアにも、課題が生じている。
メディアは、多数の人の利害関係が絡む複雑な社会問題を、だれでも理解できるようにと『Aが加害者』『Bは被害者』のように単純な二元論に落とし込んで報道する。

 

しかし、過度に単純化された構図では、問題の本質的な理解には繋がらないままだ。

わからんものには冷たくなる。それが人間の性ってやつだ。

 

ひるがえって、オレたちの情報感度はどうだ。

 

もはや日々の暮らしと切り離すことのできないインターネット。

 

検索サイトやSNSのアルゴリズムは、自分が「見たい情報」「都合のいい情報」だけを提示し、テレビ番組は視聴率を気にして不倫の話ばかりする。

 

メディア人が言う「それをやっても見てもらえないんですよ」はあまりにも悲しい敗北宣言だ。
便利だからって都合のいい情報ばかり知ろうとすると、誰かのことが許せなくなって誹謗中傷ばかりしてしまう。


つまり、複雑化・多様化している社会問題と、自分の興味・関心の殻にこもっている個人。両者をうまくつなぐことのできないメディア。全ての歯車がウマく噛み合ない。そういう時代なわけだ。

 

こうした、社会問題、メディア、個人のあり方によって、オレたちの「知らないこと」は増え続け、困っている人々の、困っている背景を知らないため「自己責任論」で一刀両断。冷たい態度をとってしまうようになる。

 

リディラバジャーナルの目指すメディアのあり方

現代社会では、多くの社会問題が「社会システムの欠陥」で起こるようになってきている。

リディラバジャーナルでは、社会問題を「構造化」することで、この社会システムの欠陥を明らかにしていく。そのために立ち上げたサイトだ。

 

構造化された記事を通して、
▽社会システムのどこを変えれば問題が解決するか
▽自己責任論では問題が解決しないのはどうしてか


といったことを明らかにしていければと思っている。

 

例えば東日本震災が起きた直後、多くの人はそこまで明確な技能がない中でボランティアとして即座に現場に行っていいのかどうか、わからなかったのではないだろうか。


その結果、現場に即座に足を運んだ大学生たちがSNS上で強く非難され、他の人がボランティアに行きたいという気持ちを萎縮させてしまったという側面がある。

 

ちなみにオレも萎縮した。偉そうに言ってるけど意外とナイーブなんだ。萎縮してなければ初動はもっと早かったかもしれない。今思えば「うるせえ!!とりあえず行くんだよ」って感じなんだが、背景を知らないとそんなに人は強くなれないんだ。

 

オレは問題の裏側を知ってもらうことで、人の思いやりや優しい気持ちが、ストレートに問題解決に繋がっていく状態を作りだしたい。

 

誰もが問題解決を望んでいるけれど、知らないからこそ冷たくしてしまう。意図せず傷つけてしまう。

 

そんな現状を変えていくメディアを目指していければと思っている。


リディラバジャーナルは社会問題を「構造化」する

リディラバジャーナルが行う「構造化」とは、それぞれの問題の全体像や背景、関連性を解きほぐして整理することだ。


「構造化」することで、社会問題の裏には、社会システムの欠陥があることが見えるようになり、そこを議論のスタート地点にできる。

 

リディラバジャーナルでは、社会問題を見ていくとき「視点」「変数」「文脈」を意識している。これはオレがリディラバで社会問題を説明するときに心がけていることもである。

 

「視点」とは、当事者、行政、支援団体など、どの立場から問題を見るか、を意味している。

「変数」とは、問題を構成する要因。何を動かせばどういった変化があるのか、を意味している。

「文脈」とは、歴史的経緯を指す。

 

例えば、ホームレス問題。ホームレス状態にある人、生活保護を支給する自治体、ホームレス状態にある人の支援をする団体……。それぞれの視点から見える「問題点」は異なる。

 

どうして人は、ホームレス状態に陥るのだろう。「家」だけでなく、「職」「金銭」「人間関係」など、「これを欠くとホームレス状態になる可能性が高まる」という「変数」が他にもある。

 

そもそも、ホームレス問題を「路上の不法占拠問題」と考えているか、「日雇い労働者の雇用問題」と見ているか。「文脈」も地域によっててんでバラバラだった。

 

こうした点を踏まえ、問題を多角的な視点で、重層的に理解できるような記事を届けていく予定だ。

このジャーナリズムはオレたちだけではつくれない。

リディラバジャーナルは、月額課金制のウェブメディアだ。なぜこのかたちをとったか。それは、「みんなでつくるジャーナリズム」を、日本に根付かせたいと考えたからだ。

 

広告依存でPV追いかけるとどうしても不倫の話ばかりしてしまう。

 

そんなんどうでもいいでしょ!!!もっとみんなで話した方がいいことあるでしょ!!!!社会問題扱うとか言って当事者叩くだけの報道なんて、何も社会を良くしないわけですよ!!!なんでその問題が生じるかをみんなで考えた方がよくないか!!!小室さん引退しちゃったよ!!!!!ちなみにあれは明らかに介護や高齢化の問題だよ!!!不倫どうこうじゃないよ!!!

 

現在、「社会問題に特化し、読者からの購読料で成り立っているメディア」を探したとき、国内にも海外にも見本はない。だけど、社会問題が多様化・複雑化した現代において、必要なメディアだと確信している。

 

このリディラバジャーナルは2017年の夏に行ったクラウドファンディングで1500万弱を皆様に支援いただき立ち上げることができた。でももう半分くらい使ってしまった。決して変なことには使っていない。

 

私やエンジニア含め、チームとしてはフルタイムで4人、プロボノやインターン、デザイナー、外部の協力者なども含めると10人を超えるチームを作ってしまった。

 

始めてみると改めてわかるが、メディアを作っていくのは本当にお金がかかる。なんとか継続性をもってこの事業を進めていくためには持続可能なモデルが要る。


そういうわけでサブスクリプション型の、事業モデルで始めてみようと決めた。

 

いただいた購読料は、まずは「よりよい記事づくり」に使わせていただきたい。
めちゃくちゃこだわって問題を構造化した記事を安定して提供するつもりだ。

 

また、今後リディラバジャーナルは、社会問題について考えるプラットフォームとなることを目指している。そのためにも今後、読者自身がどのような社会問題に興味・関心があるのかを提案していけるセルフフィードバック機能をサイトに実装したり、様々な意見を持つ人が実際に出会える機能の追加や、社会問題について語り合えるオフラインにイベントを開催したりといったことを予定している。

 

購読料はこうした「プラットフォーム化」の資金にもさせてもらいたい。

 

ちなみに読者からお金をもらうモデルにするかはかなり葛藤があった。

なぜ課金制にしたか説明はしたものの、「リディラバは『社会の無関心の打破』を掲げているのに、なぜ誰も見られる無料メディアではないのか」。そう思う人もいると思う。誰でも読めるスタイルの方が、社会の無関心を打破できるのでは、と。

 

「無料」というのは甘美な響きだ。俺も最高に好きだ。人にも勧めやすい。

 

だけど無料でやってたんだよ。リディラバは元々。
6年間、ボランティア組織だったんだ。

でもそれじゃ変えられなかった。

 

だからオレはみんなに共犯者になってもらいたいと思うようなった。

関心のある人たちに一緒にリスクをとって購読してもらい、しっかり考えてもらう。

そしてエヴァンジェリスト(伝道師)になってもらう。

 

エヴァンジェリストの人たちが周囲に薦める場合には無料で記事が読める。

それはエヴァンジェリストの人たちのおかげで読める、という形にしようと。

 

これがうまく行くのかはよくわからん。

メディア関係者に聞いたらみんな無理だろう、って言う。

ただオレの中で明確にわかっているのは、社会の無関心を打破して誰もが気軽に社会について考える世の中を作ることはめちゃくちゃ大変だということだ。

 

賭け金としてオレの覚悟と人生だけだと全然足らないらしい。

どれだけレバレッジ掛けても「社会の無関心の打破」はできなさそうなのだ。

だからみなさんにも少しずつ共犯者になってもらいたい。

そう思っている。

 

ここまでグダグダ色々語ってきたけれど、オレが読者に言いたいことはシンプルだ。
冷たい大人になるな。そのためには知ってくれ!


そして知るのにこのリディラバジャーナルを使ってくれ!ということだ。

身勝手で大変申し訳ない。

 

それでも個人と社会がますます離れ、分断していく現代。
分断を繋ぎなおしていく人が、今とても強く求められていると思う。


リディラバジャーナルは、この分断を繋ぎなおしていく人たちを増やすために尽力したい。
みなさんと一緒に、このチャレンジを続けさせてもらえると嬉しい。

 

 

 

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