「障害のある我が子」とどう向き合い、子育てしてきたか
「障害のある我が子」とどう向き合い、子育てしてきたか
※本記事は、こちらの方針に従って事後編集が加えられています
産まれてきた自分の子どもに障害があったら、子育てをしていく上で何を思い、どんなことに悩むのだろうか。
また、障害者が社会で自立して生活していくために必要なこと、変えていかなければいけないことはどのようなことがあるのか。
経済学の観点から障害者が最大限能力を発揮できる社会を提言した『障害者の経済学』著者で慶應義塾大学商学部教授の中島隆信さんと、障害者の自立支援を行うNPO法人AlonAlon理事長を務める那部智史さんは、ともに障害のある子どもの親だ。
中島さんの子どもは脳性まひが、那部さんの子どもには最重度知的障害がある。お二人に、障害のある子の親の思いについて聞いた。
※本記事は、リディラバが主催する社会課題カンファレンスR-SIC2019のセッション「障害を持つ子の親になって感じること、考えること」を記事にしたものです。
我が子の障害を知った時
モデレーター 障害のある子どもの親としてお二人にお話を伺いますが、まず子どもの障害がわかった時、それぞれどのように受け止めたのでしょうか。
中島隆信 息子が産まれた時、低酸素状態で脳に出血があることがわかりました。
医師からは「いずれ何らかの障害を抱えることになる」と言われていましたが、その時点ではどんな障害が出るのかわからなかった。
産まれてからしばらく経ったところで、寝返りができないといった決定的な発育の遅れが見えてきたんですね。
ただ当時は「障害があっても克服すればいい」と考えていて、歩くのも訓練すればいずれ歩けるようになるのではないかと思っていたし、時間をかけてリハビリに力を入れていました。
息子が小学校に上がる年齢になる頃、2年ほどアメリカで生活しました。最初は学校の勉強にもついていけていて、九九を覚えられる程度の知能もあったんですね。
小学校3年生にあたる年齢で帰国したのですが、その後は勉強についていけなくなり、「身体だけでなく、やっぱり知的な障害もあるのか」と実感しました。
息子が産まれて9年後に下の子が産まれたのですが、下の子は健常者でした。障害のある子とない子、両方を間近で見ることでそれぞれの違いが見えるようになった。
それで、少しずつ上の子の障害を「受け入れよう」と思えるようになったんです。僕が上の子の障害を受け入れられてからは、家庭の雰囲気にもゆとりができたかなと思います。
那部智史 僕には、23歳の息子が一人います。知的障害があり、今も話すことができません。
僕の場合は中島さんとは違って、障害があることがわかった時、「もしも、この子の次に健常な子が産まれてきたらどうしよう」と思ったんです。
そうなったら、無意識に下の子だけをかわいがってしまい、上の子に疎外感を与えてしまうのではないかと、すごく不安で。
なので息子が産まれた時に「子どもはこの子だけにしよう」と、妻と話し合って決めました。
息子は、首がすわったり、立ったり、ハイハイをしたりと、身体の発達は早かったんですね。
小さい頃は近所の子たちとも普通に一緒に遊んでいて、むしろ当時は「よその子よりもうちの子のほうが優秀なんじゃないか」と思っていました。
ですが、いつまで経っても言葉が出てこない。そうして、だんだんと知的な面で遅れが見えてきました。
3~4歳の頃に病院で診断を受け、息子に知的障害があることがわかりました。
そこからは、息子のできないことばかりが見えてしまうようになり、近所の子たちとも遊ばくなった。
僕はうつになり、会社に行けなくなって家に引きこもるようになりました。
モデレーター ご夫婦の間で、お子さんの障害に対する考え方や気持ちの変化はどのようなものがありましたか。
中島 僕の場合、大学の教員という仕事柄、比較的スケジュールを自由に調整できたので、子どもが小さい頃はリハビリについて行ったり、家でも子育てをしたりしていました。
結果として、夫婦間で子どもの障害に対して共有できる情報や時間が多かったと思います。
僕は「息子の障害を治さなきゃ」と思っていたのですが、妻は淡々としていて、僕よりも、子どもの障害をすんなりと受け入れていた。
夫婦間で考え方が違っていても、こまめに子どもの情報を共有することができていれば、対立などは避けられるのではないかなと思います。
那部 うちの場合は、妻が「まだ(治る)可能性があるんじゃないか」と言っていました。
僕は、「この子は障害をもって生きていくんだ」と、どちらかというと達観していましたね。
親が考える障害者の「幸せ」とは
モデレーター 障害のある我が子の幸せとは、どういうものだと思いますか。
中島 僕は基本的に、彼の幸せを親が決めることはできないと思っています。
息子は車椅子で生活していますが、彼の行動範囲が広げてあげれば、その分、本人が「やりたい」と思えることの可能性も広がるかもしれないし、それなりに幸せになるかもしれません。
ただやっぱり一番大事なのは、本人がどうしたいのか、何を望んでいるかということ。「いろんな経験をさせたいから」と親の意向を押し付けるのは違うのかなと感じます。
彼は病気や障害などで生活に困難を持つ人たちが援助を受けながら一般の住宅で生活する社会的介護「グループホーム」で暮らしています。
親として見ていると、今の生活を楽しんでいるように見えるし、幸せを感じているのかなと思っていますね。
那部 僕が運営しているNPOでは、障害者の子たちの経済的自立をメインの課題として取り組んでいます。
今までいろんなケースを見て経験してきた中で、「お金がいくらあっても幸せにはならないけど、お金がなかったら100%不幸になる」と思っています。
だからこそ、障害のある子たちが不幸せにならないように最低限の経済力を持ってもらうことが、できるサポートのギリギリのラインだと考えています。
僕がうつになった理由は、障害のある子どもが産まれたこと自体というより、親や兄弟、会社の社員、取引先などの周囲から「かわいそう」と言われ続けたことが原因なんです。
僕はサラリーマン時代の営業成績は1位で、周囲からちやほやされていましたが、そうした生活は息子が産まれた途端に一転した。周囲からも「かわいそう」と見られるようになった。
その落差がすごかったこともうつになった原因の一つで、うつになって半年ほど家にいた時、ふと「お金持ちになろう」と思ったんです。
妻には「みんなにうらやましがられないと僕はもう立ち直れない。だから会社を作ってお金持ちになる」と伝えました。
そこからベンチャー企業を立ち上げ、10年ほどで年商450億円、社員150人ほどのそこそこ大きな会社になりました。
ある程度お金持ちにはなれたのですが、心に空いた穴は全然埋まらなかった。
お金だけでは幸せになれないと痛感し、自分の息子が受け入れられるような社会を作ることがこれからの自分のミッションだと考え、NPOを始めたのが40歳の頃でした。
反省ばかりの障害児の子育て
モデレーター 障害のあるお子さんに対し、お二人はどのように子育てをしてきたのでしょうか。
中島 「この子の障害は治らないんだ」ということを受け入れることはできたんですが、息子は何をどう考えているのか、健常者と言われる人とはどんなふうに違うのかといったことは、未だにわからないというのが正直なところです。
僕は経済学者なので、物事を合理的に考えてしまいます。だから、子育ても常に合理性を追求していました。
息子は自力でごはんを食べると一時間くらいかかってしまう。だから親が食べさせる。服も着脱しやすいものを買うなどしていました。
外出も、車椅子に乗った子どもを連れていくのは想像以上に大変なんです。だから混雑している場所に行かず、行くとしても空いている時を見計らう。
ある時、真冬の雨の日にガラガラの水族館に行ってイルカショーを見たんですね。
そこにはお客さんが自分たちしかいなくて、さすがに寂しいなと思いました。こういうのは、お客さんがたくさんいて盛り上がるから楽しいものなんだと気づいて。
だから、今にして振り返ってみると、親の都合で子育てをしてしまっていたなと、反省しかないです。
那部 僕の息子は、食事をする時に食卓の周りをぐるぐると回ってからじゃないと、食べないという癖があったんですね。
当時は、その行動が理解できずに止めてしまっていましたが、そういった対応はあまりよくなかったかなと反省しています。
今、施設で重い障害のある方を見ていると、たとえばある女性も何かをやる前には必ず何らかの行動をして、それから始めるんですね。彼女にとっては自然なことで、それを止めるとパニックになってしまう。
息子も、別に食事をする前に食卓の周りを回っていても、その後においしくごはんは食べられるんだからいいじゃないかと、今となっては思います。
障害のある人たちの存在が、職場や家庭、そして社会で、もっと受け入れられるようになっていくのには、そうした些細なことに対してどれだけ気にせず、理解できるかが大事だなと感じますね。
編集後記
・・・障害児の親は不幸なのか?就労や教育の現状と課題は?後編に続きます。
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