“戦争がないこと=平和”ではない――ウクライナ侵攻の当事者と話して見えた、平和の意味と戦争の現実
“戦争がないこと=平和”ではない――ウクライナ侵攻の当事者と話して見えた、平和の意味と戦争の現実
「平和」と聞いたときに多くの人がまず思い浮かべるのは、「戦争がない状態」ではないだろうか。
だが、戦争が続くウクライナから来日したオルガ・コズロフスカさんは「ウクライナ人にとって、休戦することは必ずしも平和を意味するわけではない」と語る。
2026年8月6日(木)、自由学園明日館(東京都豊島区)で開かれた「リディフェス2026」。「ウクライナ」をテーマにした分科会では、「平和とは何か」を起点に、戦争をどのように捉えるのか、遠い地で起きている戦争とどう向き合うのかについて対話が交わされた。
なぜ、戦争が止まっても平和になったとは言えないのだろうか。同じ戦争を語る言葉が、外側で暮らす人と当事者とで食い違うのはなぜか。登壇者3人とモデレーターの対話をたどると、戦争そのものだけでなく、私たちがどこから戦争を見ていたのか、その視点や態度も浮かび上がってくる。
【登壇者・モデレーター】
川井大介(カワイ・ダイスケ)
東京大学先端科学技術研究センター特任助教。経済安全保障、新興技術と安全保障、インド太平洋地域の外交・安全保障、科学技術政策などを専門とする。
コロペンコ・マリヤ
九州大学在学。ウクライナ・クリミア半島出身で、11歳のときに来日。戦時下のウクライナで日本語や日本文化を学ぶ高校生を日本に招く短期留学・文化交流プログラムを企画した。
オルガ・コズロフスカ
ウクライナ・リヴィウの武道館高等学校校長。日本語や日本武道を取り入れた教育に携わり、戦時下でも生徒たちの教育を続けている。今回、同校の高校生らとともに来日した。
堀潤(ホリ・ジュン)【モデレーター】
ジャーナリスト、株式会社8bitNews代表取締役。NHKで報道番組のキャスターやリポーターなどを務めた後、独立。国内外の現場を取材し、テレビやウェブ、執筆などを通じて発信している。
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※本記事は、「リディフェス2026」で行われた「ウクライナ」分科会の内容をもとに記事化したものです。発言は意味を変えない範囲で整理し、読みやすさのため、一部の発言や議論の順序を前後させて再構成しています。
“外側”と“内側”で異なった、「平和とは何か」の捉え方
戦闘が起きていなければ、そこには平和が訪れたと言えるのだろうか。「戦争がないこと」と「平和」を同じものとして捉えると、見えなくなるものがある。
川井大介安全保障という学問の世界では、平和とは「戦争が起きていない休止期間」だと教えられます。一般的な考え方ではありますが、それだけで私たちにとっての意味を十分に表せるのかと考えると、少し違う定義が必要なのではないかと思いました。
いろいろ考えた結果、平和とは単に戦争がないことだけではなく、一人ひとりが明日の予定や将来の進路を、自分の意思で選べる状態なのではないかと考えました。
日本で暮らしていると、明日も学校へ行けること、家族と暮らせること、将来の職業を考えられることを当然の権利だと思いがちです。でも、ウクライナで起きている戦争が示しているように、明日の予定や将来の進路を自分で決められることは、どこでも普通にできることではありません。
コロペンコ・マリヤ私はクリミア半島出身で、いま、私の故郷は占領されています。ですから、私にとってウクライナ戦争における平和とは、故郷が取り戻され、いま戦っている人たちがみんな家へ帰ってくることです。
同時に、川井さんが仰ったように、ウクライナの人たちが明日の選択を自由にできること、子どもたちが自分の将来や進路を自由に選べる状態です。

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