起業家や経営者というと、どのようなイメージを抱くだろうか。
メディアで取り上げられ、SNSを通して日々発信されるのは、資金調達や上場、メディア出演などの輝かしい実績や成功した起業家像だ。
(Artit Fongfung/Shutterstock)
しかし起業家や経営者は成功すれば自由や称賛を得られる一方で、その過程で数々のステークホルダーからの多大なプレッシャーに晒され、葛藤や孤独と闘っていることも少なくない。
今回の特集テーマは「起業家のメンタルヘルス」。
起業には事業のリスクだけではなく、起業家本人へさまざまな負荷がかかり、メンタル不調のリスクも伴う。
米国の著名な起業家であるテスラのCEO(最高経営責任者)イーロン・マスク氏は、Twitterで自身が躁鬱のような状態にあることをつぶやいたり、ニューヨークタイムズの取材では耐えがたいほどのプレッシャーに晒されていることを告白したりしている。
The reality is great highs, terrible lows and unrelenting stress. Don't think people want to hear about the last two.
— Elon Musk (@elonmusk) 2017年7月30日
(2017年7月30日のイーロン・マスク氏のTwitter)
日本でも、連続起業家であり、エンジェル投資家でもある家入一真さんを筆頭に、起業家のメンタルヘルスケアの重要性について発信をはじめる人も出てきている。
今回の取材を通して、起業家支援に関わる人やベンチャーキャピタリストなどからも、支援する起業家が不安で眠れず泣きながら電話をしてきたり、突如SNS上から姿を消したりするのを見てきたという話が聞かれた。
「絶対に他人に知られたくない…」隠れた苦悩
しかし、起業家のメンタルヘルス問題は表面化しづらい問題だ。
体験型の人材育成を通してメンタルヘルス復職支援や事業創造などをおこなう株式会社遭遇設計(東京都・文京区)代表取締役の広瀬眞之介さんはこう話す。
「私は産業カウンセラーでもあり、起業家でもあり、うつ病の患者経験もあるので、経営者からも相談を受けることがあります。ですが、起業家や経営者ほど精神科に通っているところを絶対に人に見られたくないという方がいます」
経営者のカウンセリングなどもおこなうという広瀬さん。
「なぜかと言うと、会社の大黒柱である自分自身の心身に不調があることを、融資してくれている銀行や、出資してくれている投資家に知られると、その銀行や投資家たちに会社の経営まで危惧されてしまう不安があるからです。だから、『通っていることが周囲にばれない病院を教えてほしい』という相談を受けることもあります」
起業家のメンタルヘルス問題は自己責任なのか?
起業家のメンタル不調は、本人が起業という手段をみずから選択している点で、自己責任だと捉えられるかもしれない。
確かに意思決定や選択には一定の責任がつきものだ。しかし、心身の健康を壊すほどに起業家の負担が大きくなる背景には構造的な問題もある。
本特集では起業家および経営者が大きな負荷に直面していく構造を紐解いていく。
起業家たちのコミュニティであるImpact Hub Tokyo(東京都目黒区)の共同設立者・代表取締役であり、起業家やスタートアップ企業を支援する「アクセラレータープログラム」を実施する槌屋詩野さんは次のように話す。
「起業家は大量生産できるものではないにもかかわらず、本当は起業以外の選択肢のほうが向いている人たちも起業家熱にあおられて起業し始めています。そうでなくても、起業は非常にタフな道のりなので、バランスを崩したり、精神的に病んでしまったりする姿を見てきました」
数々の起業家たちを見てきた槌屋さん(槌屋さん提供)。
「大企業が起業家を利用するなど、ある意味で起業家が使い捨てられてしまっている現実もあります。また起業家のエコシステムのなかで、ベンチャーキャピタルが力を持ち過ぎている。彼らは単にお金を出しているだけに過ぎないのに、発言力が大きいのです。そうした構造が起業家のバーンアウト(燃え尽き症候群)を生み出していると思います」
起業家のメンタルヘルス問題の背景には、リスクを無視した起業促進や、起業家のビジョンを軽視した大企業との提携、投資家と起業家との不均衡なパワーバランスなどの要因がある。
槌屋さんは「まずは起業家のバーンアウトの問題について、みんなが話せるカルチャーをつくっていかなければなりません」と強調する。
「個人の問題」にとどまらない影響
起業家や経営者の心身の健康が蝕まれれば、単に個人の問題として片付けることはできない。
事業をはじめると、出資元の資本家やベンチャーキャピタル、提供サービスの顧客や協働相手との関係性が生まれる。そして規模を拡大していく場合には、従業員を雇うことになる。
ステークホルダーが増えていくにつれて、起業家や経営者の責任範囲は広がり、彼ら彼女らのメンタルヘルス問題の影響も広範囲に及ぶ。
政府は「『誰でも起業家』が可能な時代がくる」として、起業家およびベンチャー企業に経済の牽引役を期待している。
茂木敏充元経済産業大臣の声かけのもと、今後のベンチャー支援のあり方を検討するために設置された「ベンチャー有識者会議」によるとりまとめ(2014年)では、米国ではベンチャー企業が経済を牽引していること、また新規企業が雇用を生み出すことを指摘し、ベンチャー創造を提唱している。
そうした中で、個々人が健やかに自分のやりたいことを実現していくためにも、日本経済のためにも、「起業」という選択肢が多くの人にひらかれると同時に、起業家のメンタルヘルスに関するリスクについても知ってもらいたい。
そして、起業家のメンタルヘルス問題が表面化されずに、再度繰り返されていく構造を変えていく契機になればと思う。
第1章は《起業家のメンタルヘルス問題の実態》。
第1回【光の陰に潜む「起業家たちの心の痛み」】では、起業家のメンタルヘルスに関する調査をもとに起業家のメンタルヘルス問題の実情を見ていく。何が起業家のメンタルヘルス不調の要因となっているのだろうか。
第2章は《ステークホルダーとの関係性》。
第2回【起業家がベンチャーキャピタルを選ぶ新しい基準】では、起業家が事業を成長させていくうえで関わる投資家との関係性に迫る。
第3回【「なんでこんなひどい目に…」元起業家の告白】では、みずから起業した会社を廃業した経験を持つ男性にインタビューをした。起業を通して気づいたことや、「なんでこんなひどい目に遭わなきゃいけないんだ…」と感じたという経験を赤裸々に語ってくれた。
第4回【「起業家の孤独」従業員との認識のずれ】では、起業家と従業員の関係性から生じる困難を見ていく。立場の違いによる認識のずれにはどのようなものがあるのだろうか。
第3章は《起業家を支えるエコシステム》。
第5回【多様な起業を支えるしくみづくり】では、スタートアップ界隈の課題と起業家のメンタルヘルスをサポートしていくために求められていることを探っていく。
第6回【「積み上がる責任」ベンチャー企業取締役が精神疾患に至るまで】では、元みんなのウェディング取締役として上場後、ハードワークの結果、精神疾患を患った中村さんに上場後に直面するプレッシャーや、起業家のメンタルヘルスのリスクを下げるセーフティネットについて編集長安部が聞く。
第7回は《安部コラム》。
【編集長安部が語る「起業家のメンタルヘルス」】では、自身も起業家である編集長安部が考える「起業家のメンタルヘルス問題」について綴る。
本特集を機に、起業家や経営者の精神面のリスクに対する理解が広まり、サポート体制の構築につながれば幸いだ。