
社会問題解決のために長年貢献し、社会にインパクトを与えてきた人物の経歴に迫る連載「ソーシャルセクター列伝」。
今回は、事業経営などを経て40代で「新宿歌舞伎町駆け込み寺」を設立し、現在まで18年もの間、述べ5万人以上の悩み相談に乗ってきた玄秀盛(げんひでもり)さんにフォーカス。
「24時間365日相談者を受け入れる」という型破りなスタイルで、DV、虐待、貧困、ハラスメント、ひきこもりなど、さまざまな悩みを解決してきた玄さん。
現在も「公益社団法人日本駆け込み寺」にて相談を受け続けているほか「一般社団法人再チャレンジ支援機構」では、元受刑者の支援活動にも積極的に取り組んでいる。
自分のもとへ来た相談者を無条件に助けようとする熱意や行動力はどこから来るのか。前回に続き、玄さんの激動の半生に迫る。
入院をきっかけに事業をスタート
寿司屋を辞めたあとは、姫路でキャバレーの呼び込みの仕事に就いた。給料もよかったし、学歴不問やったから。履歴書には「高卒」ってウソ書いたけど(笑)。
キツい仕事やったから、10人おった同期は1か月後には2人になって、2か月したら俺だけになった。でも給料はよくて、月に80万くらいもらとったよ。
仕事のなかには「家庭訪問」ちゅうのがあって、店の女の子の家に行って「なにか悩んでること、困ってることないか」とか聞くねん。で、そのまま男女の仲になって(笑)。店のナンバー1からナンバー8まで、みんな俺のオンナやったこともあった。
店の女の子のなかには彼氏から暴力振るわれてる子とかヤクザに追われてるような子もおったから、俺のオンナにしておくことで、そういう奴らから守ることもできたしな。
ただ、そんな調子やったし仕事もできたから会社の人間には妬まれてて、あるとき、事務所に行ったら電話機でガーンと(頭を)やられて、6人くらいからリンチされてん。
意識不明のやったけどなぜか家に帰れとって、でもそのまま1か月以上入院や。まぁ、損害賠償はキッチリもらったけどな。
...

構造化ライブラリ
もっと見る
この記事は有料会員限定です。
社会問題をより深く、構造的に理解するために、リディラバジャーナルを購読してみませんか?



