「一匹狼」で生き抜いてきた子ども時代――新宿歌舞伎町駆け込み寺 玄秀盛さん
「一匹狼」で生き抜いてきた子ども時代――新宿歌舞伎町駆け込み寺 玄秀盛さん
社会問題解決のために長年貢献し、社会にインパクトを与えてきた人物の経歴に迫る連載「ソーシャルセクター列伝」。
今回は、事業経営などを経て40代で「新宿歌舞伎町駆け込み寺」を設立し、現在まで18年もの間、述べ5万人以上の悩み相談に乗ってきた玄秀盛(げんひでもり)さんにフォーカス。
「24時間365日相談者を受け入れる」という型破りなスタイルで、DV、虐待、貧困、ハラスメント、ひきこもりなど、さまざまな悩みを解決してきた玄さん。
現在も「公益社団法人日本駆け込み寺」にて相談を受け続けているほか「一般社団法人再チャレンジ支援機構」では、元受刑者の支援活動にも積極的に取り組んでいる。
自分のもとへ来た相談者を無条件に助けようとする熱意や行動力はどこから来るのか。玄さんの激動の半生に迫る。
4人の母親のもとを転々と
俺が産まれたんは、大阪の西成。今もやけど、当時の西成は暴動、ヤクザ、ドラッグの非合法地帯やった。あとから知ったことやけど、母親は俺をガード下で産んで、その場で産婦がへその緒を切ったらしい。
実の母親は売春婦をやってて、まだ売春禁止法ができてなかったときやったから、家で母親が客の相手をしてたんを磨りガラス越しに見たのを、なんとなく覚えてるかな。
どっかの公園で遊んだぐらいの記憶はあるけど、小さいときのことってほとんど覚えてないねん。幼稚園にも行ってへんかったし、予防接種も受けた記憶がない。
父親が俺を認知することになって、出生届が出されたんは5歳のとき。誕生日は「1956年5月24日産まれ」になっとるけど、中学も行ってへんような母親やから、本当に日付が合ってるかどうかはわからん(笑)。
何人もオトコがおったみたいやけど、父親とはきっと関係が長くて「たぶん、この人が父親なんやろ」って感じやったんやろうね。
そっから、父親と義理の母親、腹違いの兄弟と一緒に住むことになった。
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ニュースに潜む社会課題をキャッチ!リディラバジャーナル
続きをみるこんにちはリディラバジャーナルです。もうすぐ、子どもたちの夏休みが始まります。いまや子どもたちの居場所は、公園や図書館だけではありません。SNSやオンラインゲームを通じて、友達と話したり、学校や家庭とは異なるつながりを得たりする機会も増えています。SNSやゲームそのものが悪いわけではありません。好きなものでつながれる相手に出会えたり、学校や家庭とは違う関係に救われたりすることもあります。ただ、そのつながりが、思わぬ被害の入り口になってしまうこともあります。警察庁の統計では、SNSをきっかけとする性被害は高い水準で推移し、とりわけ小学生の被害は近年増加しています(※1)。
「知らない人とやり取りしなければ、防げるのではないか?」「自分で撮って送ったなら、本人にも責任があるのではないか?」そう感じる人もいるかもしれません。ただ、自画撮り被害の背景には、相手が時間をかけて関係を築き、子どもを断りにくい状況へ追い込んでいく過程があること。そして被害に遭った子どもが、「怒られる」「責められる」と感じて、誰にも言い出せなくなっていくことがあります。この記事では、自画撮り被害を子どもの不注意や自己責任だけで捉えず、その手前で何が起きているのか、そして被害を防ぐために周囲や社会に何ができるのかを考えていきます。
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