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構造化特集
住宅の耐震化 第2回
公開日: 2025/6/4(水)
更新日: 2026/8/3(月)

倒れなかったのは偶然ではない——。築年数で分かれた被害の明暗

公開日: 2025/6/4(水)
更新日: 2026/8/3(月)
構造化特集
住宅の耐震化 第2回
公開日: 2025/6/4(水)
更新日: 2026/8/3(月)

倒れなかったのは偶然ではない——。築年数で分かれた被害の明暗

公開日: 2025/6/4(水)
更新日: 2026/8/3(月)
構造化の視点

地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊

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地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊がある。耐震化をすることで倒壊は防ぐことができるが、日本の住宅のうちおよそ1割は耐震性が不十分である。住民が抱える金銭的な不安や心理的な背景、さらには地方自治体が抱える問題などから耐震化が進まない構造的な背景を明らかにする。

地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊がある。耐震化をすることで倒壊は防ぐことができるが、日本の住宅のうちおよそ1割は耐震性が不十分である。住民が抱える金銭的な不安や心理的な背景、さらには地方自治体が抱える問題などから耐震化が進まない構造的な背景を明らかにする。

地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊がある。耐震化をすることで倒壊は防ぐことができるが、日本の住宅のうちおよそ1割は耐震性が不十分である。住民が抱える金銭的な不安や心理的な背景、さらには地方自治体が抱える問題などから耐震化が進まない構造的な背景を明らかにする。


オーディオブック(ベータ版)

※本記事には、地震災害や被害に関する記述があります。実態をお伝えするために生々しい事例やデータも紹介しているため、フラッシュバックやPTSD(心理外傷後ストレス障害)を懸念される方は、十分に注意しながらご覧ください。

 

リディラバジャーナル構造化特集「住宅の耐震化~誰もが当事者、“最優先”の地震対策はなぜ進まないのか~」。

 

第2回となる本記事では、地震による住宅倒壊の実態(1章)の中でも「住宅の耐震化」の有無によって被害に差が出た実状や耐震化の効果ついて明らかにする。
 

 

阪神・淡路大震災において、神戸市では67,421棟の家屋が全壊。市の資料によると前年の1994年時点で61万6千棟の家屋があったことから、10%近くの家屋が全壊したと推定される。

 

倒壊した家屋としなかった家屋、そこにはどんな違いがあったのだろうか。

 

阪神・淡路大震災の被害を調査した結果、「1981年以前に建てられたかどうか」によって被害の傾向が大きく異なっていることが明らかとなった。さらに、2024年の能登半島地震や2016年の熊本地震でも同じような傾向が現れている。

 

この違いは「耐震基準が新しいか・古いか」という点にその要因がある。

なぜ、耐震基準によって被害の状況が変わるのか。さらに、なぜ要因が分かっているのに改善できていないのか。本記事では、阪神・淡路大震災(1995年)、熊本地震(2016年)、能登半島地震(2024年)の事例から、住宅の耐震化について重要性や効果を考える。

「いつ建てられたか?」が明暗を分けた家屋倒壊の実態

阪神・淡路大震災の被害や教訓をまとめた内閣府のHPでは「建築基準法上の耐震基準が強化された、1981年以前に建てられた建築物に多くの被害がみられた」と被害の傾向について述べている。

上図は阪神・淡路大震災で被害が大きかった地域の一つ、神戸市中央区にて建築物の被害状況を調べた結果をまとめたものである。

 

「平成7年阪神・淡路大震災建築震災調査委員会中間報告」によると、1981年以前に建てられた建築物の6割は「大破以上」または「中・小破」の被害がある。一方、1981年以降に建てられた建築物はその7割以上が被害が無いか、軽微な被害で済んでいる。

 

阪神・淡路大震災において建築物の倒壊に大きく影響した耐震基準。杉藤崇理事長をはじめ、日本建築防災協会の方々に耐震基準の考え方を聞いた。

 

杉藤崇(スギトウ・タカシ) 写真右端
日本建築防災協会理事長。1962年愛知県出身。84年京都大学工学部出身。翌年建設省採用。住宅局の各課を歴任し、12年には同局市街地建築課長に就任。14年には大臣官房審議官(住宅担当)。24年に現職。

 

「現在の耐震基準は一部改善されている部分もありますが、1981年に作られたものです。この基準では地震を大きく2つの段階に分けて考えています。

 

まず、震度5強程度までの地震。建物を建てたら、その建物の一生で1回ぐらいは経験するであろうという頻度で起こる地震です。この規模の地震に対しては、地震が起きても建物が損傷しないように設計・施工することを求めています。

 

次の段階が、震度6強から震度7に達する程度のごく稀に起きる地震です。このような大きな揺れに対しては『損傷をするかもしれないが倒壊や崩壊はしないこと』が基準では求められています」

 

大きな揺れの地震に対しても住宅が倒壊しないように強化された耐震基準。たとえば木造住宅では「壁の量」を古い耐震基準の「1.4倍」にすることで地震の揺れに耐える力を増すことを求めている。

 

阪神・淡路大震災でその有効性が明らかになったが、教訓を生かすことはできたのだろうか。

 

阪神・淡路大震災から21年後、2016年4月14日と16日に熊本県で震度7を観測する地震が立て続けに発生した。死者277名、8,667棟の住宅が全壊する大きな被害となった熊本地震。阪神・淡路大震災と同様に、建築時期によって被害の状況が違っていたと杉藤さんは指摘する。

 


「日本建築学会による熊本地震の悉皆調査結果をみると、耐震基準が変わる前、1981年以前に建てられた木造住宅は28%が倒壊、または崩壊しています。

 

阪神・淡路大震災の被害を受けて、2000年に我々が『基準の明確化』と呼んでいる木造住宅の耐震基準について改正が行われました。新しい耐震基準でも少し不十分だった壁量のバランスや接合部について基準を明確にしたんですね。

 

耐震基準が変わってから基準が明確化される1981年から2000年までだと倒壊・崩壊した家屋は8.7%ですが、基準が明確化された2000年以降は2.2%と、明瞭に被害状況に差が出ています」

 

阪神・淡路大震災と熊本地震では、建築時期が耐震基準の変わる前か後かで大きく被害の状況が変わっていた。杉藤さんはさらに、「2024年に発生した能登半島地震でも熊本地震と同様に、古い耐震基準で建てられた家屋がより多く倒壊する状況が見受けられました」と語る。

 

阪神・淡路大震災で起きた「古い耐震基準の家屋倒壊」という問題は熊本地震でも同様に発生した。古い耐震基準の家をそのまま放置することで、「地震が来たら危ないと分かっていた家が倒れる」という事態が、地震が来るたびに発生してしまっている。

 

時間、空間、社会的条件——。能登半島地震の被害を大きくした3つの要因

2024年1月1日に発生、600人が犠牲となった能登半島地震(2025年5月24日記事制作時点、内372人は災害関連死)。「令和6年版 防災白書」には、石川県が発表した災害関連死を除く死者のうち、警察が取り扱った228人の死因が紹介されている。約4割が「圧死」、約2割が「窒息・呼吸不全」で、「多くの人が倒壊した建物の下敷きとなったとみられる」と推定している。

 

能登半島地震においても阪神・淡路大震災や熊本地震と同様に被害状況が調査され、「耐震基準が古い時に建てられた家屋の倒壊」が再び問題となった。

 

 

名古屋大学の福和伸夫名誉教授は「社会的条件による耐震化の遅れ」など、能登半島地震の被害を大きくした要因を語った。

 

福和伸夫(フクワ・ノブオ)
名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長。ハンドルを回して振動を作り、模型を揺らすことで耐震や免震の仕組みを知ることができる「ぶるる」を開発した。あいち・なごや強靭化共創センター センター長や地震調査研究推進本部、政策委員会 委員長も務める。
著書:『必ずくる震災で日本を終わらせないために。』(時事通信社)『次の震災について本当のことを話してみよう。』(時事通信社)ほか。


「能登半島地震は時間・空間・社会的条件、3つの厳しい条件が重なって被害が大きくなりました。

 

まず、元日に発生したという時間的条件があります。日没直前だったため暗くなってしまい、被災者も救助する側も状況が分かりづらくなってしまいました。冬だったため、避難生活においても最も厳しい時でした。元日ということもあって働いている人が少なく、災害の対応が難しくなるタイミングだったのです。

 

空間的条件としては半島先端部だったことが被害を大きくした要因の一つとなりました。途中の道が寸断すると孤立する場所であり、石川県の中心部である金沢から140キロ離れており、地盤が4メートルも隆起してしまったため港も使えず、飛行機も滑走路にひび割れが入って使えないという状況。

 

陸・海・空全ての交通手段が使えなかったため、救助や支援が遅れたことで被害が拡大してしまいました。

 

もう一つは社会的条件です。輪島や珠洲は残念ながら人口が、最も多い時の4割になっています。高齢化と過疎化がどちらも進んでいる地域です。

 

単純計算で建物のうち6割はもぬけの殻だと考えることもでき、実際に住家被害(人が居住している建物の被害)よりも非住家被害(空き家や倉庫など人が居住していない建物の被害)の方が多くなりました。

 

また、住宅の耐震化ということで考えると「高齢化・過疎化している=住宅の耐震化は進まない」といえるでしょう。住宅の耐震化は建て替えによっても進みますが、高齢化や過疎化が進んでいる地域では若手世代が少ないため、住宅が建て替えられることも中々ありません。

 

高齢者だけで住んでいる住宅では改修にお金をかけることも忌避されてしまいがちです。過疎化によって空き家も多くなるため、耐震化されないまま放置される家屋も増えていきます。

 

実は、石川県は耐震改修補助が150万円ほど出ている全国でも耐震化のサポートが手厚い自治体でした。しかし、残念ながらそれでも耐震化が進んでいないという状況だったのです。

 

半島の先端部や河川の上流部など、過疎や高齢化が進み、人口が激減している地域は日本にたくさんあります。能登で起きている現実は日本の未来を示していると思わなくてはいけません」

 

能登半島地震でも阪神・淡路大震災や熊本地震と同様に古い耐震基準の家屋がより多く倒壊した。さらに、その要因の一つに住宅の耐震化の遅れがあるが、背景には過疎や高齢化などの問題が陰を潜めている。

 

次章では視点を変えて、本当に耐震化することで倒壊の危険性を減らすことはできるのか、その有効性を検証する。

誰にも理解されなかった耐震改修。家族の命と家を守った行動とは

耐震基準が古かった時、1981年以前に建てられた家に住んでいる住人は耐震化を諦めるしかないのだろうか。

 

住宅の耐震化は家屋をまるごと新しくする「建て替え」か、家屋はそのままに補強するなどして揺れに強くする「耐震改修」によって行われる。耐震改修であれば住んでいる家のままで耐震性を向上させることも可能だ。

 

 

第1回の記事で阪神・淡路大震災の実態を語った野村さんも耐震改修で被害を軽減させたうちの一人だ。誰にも理解されなかったが耐震改修し、自宅の倒壊を防いだエピソードを聞いた。

 

野村勝(ノムラ・マサル)
人と防災未来センター「語り部」。阪神・淡路大震災当日は神戸市垂水消防署の消防司令補として当直。震災後は「新長田北安心安全コミュニティ推進協議会」や「細田・神楽まちづくり協議会」の会長を務め、復興まちづくり活動にも従事した。

 

ー野村さんはなぜ自宅を耐震化しようと思われたのですか?

 

古い家に住んでいたため、もし地震が来たら危ないなと思っていたんです。

 

「関西は地震がない」と言われていましたが、新聞やテレビの報道で日本は地震の国であり、自然はいつ何時、牙をむくかわからない。だから耐震化しようと思ったんです。

 

ー当時、耐震改修は珍しいことだったと思います。ご家族や近所の方はどんな反応をされていましたか?

 

近所の人に話したら「タイシン?神戸で地震なんか起きるわけないやん。なにいうてんの?」と相手にしてくれませんでした。補強をお願いした大工さんもなぜそんなことをするのかと驚いていました。

 

家内も「お父さん、近所の人の言うとることが正しいわ。この辺りにたくさん家あるけど補強している家なんか一軒もないやないの。そんな何百万もお金をつぎ込まれへんよ。地震がけえへんのに何でそんなのすんの」と大反対です。

 

私は「消防署で長い時間過ごしとる。消防署は潰れんようなビルや。でも、この家は昭和20年の戦争の時に燃えなかった家やから危ない。地震でよその家は潰れなくても、うちの家は潰れる。お前の命を守るためには補強しないとあかん」と、何とか家内を説得して店舗住宅を補強しました。

 

ー阪神・淡路大震災が起きたとき、補強の効果はどのくらいあったのでしょうか。

 

補強してからちょうど10年後に地震がありました。

 

近所の家屋は半分くらい燃えるか、潰れてしまいました。家は多少傾いても「家」なんです。崩れたら「ガレキ」になる。燃えれば「灰」になる。私の家は補強していたので傾きはしましたが「家」の原形は残りました。

 

ただ、完璧に安全な状態ではありませんでした。

 

補強した後、子どもが大きくなって家が狭くなったので、600mほど離れたところに補強した家とは別に家を建て、震災の頃はその新しい方の家で生活していました。長女は嫁に行っていたので、次女、家内、私の3人暮らしです。地震が起きたとき、私は当直でしたから家には居ませんでした。

 

2階に寝室があり、そこには大きなブラウン管テレビと洋服ダンスがありました。地震の揺れでテレビは4mほど飛び、タンスは転倒しました。たまたま前日に寝室を掃除して、そのときに家内のマットレスを移動させていたそうです。いつもの場所にマットレスがあり、そこで寝ていたら、テレビにぶつかるか、タンスの下敷きとなって命はなかったと思います。幸運にも助かりました。

 

家の補強を考え、実行したのに、どうして家具の固定を考えられなかったのかわかりません」

 

SECTION 1/3で紹介した、神戸市中央区にて地震の被害を調べた調査では、約12%の建物が全壊している一方で、約16%の建物は「無被害」であった。これらの建物には新しい耐震基準で建てられたり、野村さんのように補強などの改修を行った建物もある。

 

激しい地震の揺れに耐えたこれらの建物は、静かに、それでいて説得力を持って住宅の耐震化の重要性を伝えている。

 


 

野村さんは今、阪神・淡路大震災の記憶を伝える語り部をしている。伝えていることの一つに「自助の大切さ」があるという。

 

「阪神・淡路大震災では多くの犠牲が出たと同時に、多くの人が救出されました。実は、助かった人の95%は地域住民が助けた命なんですね。消防、警察、自衛隊、いわゆる公助で助けたのは、全体の5%程度でした。

 

救助活動で助けたくても助けられなかった命がたくさんあった。神戸市で8万軒近い家が潰れましたが、300人の当直では全部を回ることはできませんでした。

 

この経験があったから『耐震補強など自分でできることは自分でしましょう。一番大事なのは、自分の命を自分で守ることやで』ということを話しています。

 

それでも守れない場合は、隣近所の人が共助で守ってあげる。

 

それでも守れない人は公助で守ることになりますが、あまりにも被害が大きすぎた場合はどれだけ待っても来てくれないかもしれない。来てくれるのはずっと後になってからかもしれない。

 

災害があったとき、誰かが自分の命を助けてくれるとは限らない。だから、自分の命は自分で守ることが大事なのです」

 

自然現象である地震は止めることはできない。だが、家屋の倒壊は耐震化をすることによって被害を最小限に防ぐことができる。

 

阪神・淡路大震災で耐震基準の確かさが分かり、住宅の耐震化の重要性が明らかになったはずだった。しかし、2016年の熊本地震や2024年の能登半島地震において耐震化していない住宅が倒壊し、多くの被害がでることを繰り返してしまった。

 

大事だと分かっているはずの住宅の耐震化はなぜ進まないのだろうか。次回、第3回の記事では耐震化を諦めてしまう住人、さらには情報や資金の不足といった構造的な問題を明らかにする。

 


 

編集後記

「自分の命は自分で守る」

 

幼いときから学校の避難訓練などで何度も聞いたはずの言葉ですが、野村さんから伺うとより説得力があり、防災に励まなければいけないと身が引き締まりました。

 

一方で、取材や調査を通して自分で自分の命を守りたくても守れない状態にある住人の存在も明らかになりました。誰もが地震で犠牲とならない社会を作るためにはどうすれば良いか、第3回以降の記事で考えていきます。

リディラバジャーナル編集部。「社会課題を、みんなのものに」をスローガンに、2018年からリディラバジャーナルを運営。
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CONTENTS
intro
地震による住宅倒壊の実状
no.
1
no.
2
住宅の耐震化が進まない理由
no.
3
no.
4
no.
5
過疎から考える耐震化の課題
no.
6