地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊
地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊がある。耐震化をすることで倒壊は防ぐことができるが、日本の住宅のうちおよそ1割は耐震性が不十分である。住民が抱える金銭的な不安や心理的な背景、さらには地方自治体が抱える問題などから耐震化が進まない構造的な背景を明らかにする。

地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊がある。耐震化をすることで倒壊は防ぐことができるが、日本の住宅のうちおよそ1割は耐震性が不十分である。住民が抱える金銭的な不安や心理的な背景、さらには地方自治体が抱える問題などから耐震化が進まない構造的な背景を明らかにする。
地震災害において被害をもたらす要因の一つに、住宅の倒壊がある。耐震化をすることで倒壊は防ぐことができるが、日本の住宅のうちおよそ1割は耐震性が不十分である。住民が抱える金銭的な不安や心理的な背景、さらには地方自治体が抱える問題などから耐震化が進まない構造的な背景を明らかにする。
※本記事には、地震災害や被害に関する記述があります。実態をお伝えするために生々しい事例やデータも紹介しているため、フラッシュバックやPTSD(心理外傷後ストレス障害)を懸念される方は、十分に注意しながらご覧ください。
リディラバジャーナル構造化特集「住宅の耐震化~誰もが当事者、“最優先”の地震対策はなぜ進まないのか~」。
1章では地震による住宅倒壊の実態を見ていくが、第1回となる本記事では阪神・淡路大震災の事例をもとに住宅が倒れることによって起こった被害を明らかにする。

1995年1月17日午前5時46分。淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震、兵庫県南部地震が発生した。最大震度7の揺れがあったことが後の調査で判明。1949年の制定から46年後、震度7が観測史上初めて適用された地震となった。甚大な被害は総称して「阪神・淡路大震災」と呼ばれている。

地震の被害を大きくする要因の一つに「住宅の倒壊」がある。
住宅が倒壊すると住人やその家族の生命を危うくするだけではなく、火災の原因になったり道路を塞いだりするなどして、被害の拡大、さらには救助・消火活動の遅延にもつながる。
避難の長期化や環境の悪化による災害関連死も起きているが、これも住宅の倒壊が遠因となっている。
2024年の能登半島地震や2016年の熊本地震においても、多くの住宅が倒壊し、人的被害が拡大した理由になった。今後発生すると予想される南海トラフ地震や首都直下地震においても住宅の倒壊が引き起こす被害の拡大が懸念されている。
今回は、阪神・淡路大震災で消火・救助活動にあたっていた消防士や専門家の取材を通して、地震発生後、家屋の倒壊によって起こる被害の実態やその原因を明らかにする。
命がけでススだらけの人々を救出。阪神・淡路大震災の事例からみる住宅倒壊の実態
死者・行方不明者6,437名、約10万棟の建物が全壊した阪神・淡路大震災。その実状を当時消防士を務めていた野村勝さんに伺い、阪神・淡路大震災の事例から「住宅が倒れることによって起こること」を見ていく。
野村勝(ノムラ・マサル)
人と防災未来センター「語り部」。阪神・淡路大震災当日は神戸市垂水消防署の消防司令補として当直。震災後は「新長田北安心安全コミュニティ推進協議会」や「細田・神楽まちづくり協議会」の会長を務め、復興まちづくり活動にも従事した。
ー地震が起きたときのことを教えていただけますか?
地震が起きた日は当直勤務だったので消防署にいました。トイレに行ったその行きか帰りか、階段にいたときに「ゴーッ」っていきなり揺れたんです。天井の梁がきしむくらい大きく揺れて命の危険を感じました。
1分ぐらいの長い時間に感じましたが、後で調べると11秒ほどの揺れでした。たった11秒であんなに被害が出るとは、恐ろしいことです。
事務所に戻ると、ロッカー、テレビ、戸棚、机、色んなものが重なるように散乱していました。集まった隊員から「隊長、どないすんの」と言われたけど、どうすればいいかわからない。あまりにもひど過ぎて。
外へ出たら自分の手すら見えないほど真っ暗だったんです。いつもなら街灯や自動車の明かりがあるから、深夜でも明るい町でした。ところがそれらの明かりが全部消えてしまっていた。
被害がたくさん出ているだろう、というイメージはあるのですが、外は真っ暗で、本部からの連絡も無いので状況が分からなかったんです。
そうこうするうちに60過ぎの男性が自転車でやってきました。
「どないしたんですか」と聞いたら、「ガス漏れや、すぐ来てくれ」と。消防署から数百メートル離れた所で起きていたガス漏れの対応に向かいました。それが最初の現場でした。
被害がたくさん出ていますし、現場も混乱していますから本部との無線でのやり取りは混乱しています。ガス漏れ対応をしているときに、ようやく本部と連絡を取ることができました。今対応している現場の次に行くよう指令があったのが、住宅の倒壊現場でした。
ー現場に向かうとき、町はどのような様子でしたか?
いつもの道で行こうとしたら倒壊した家屋で道がふさがっていました。8メートルほどの道路を、道を挟んだ家同士がまるでお辞儀するみたいに倒れていてふさいでいたんです。大変なことが起きているなと思いました。それが倒壊した家屋を見た初めての体験でした。

画像はイメージです(写真提供:神戸市)。
現場について懐中電灯を回してみると、あたり一面倒れた家屋ばかりでした。これはとてもではないけど、一軒一軒全部を確認しながら回るのは無理だと思ったんです。
そこでマイクを入れて、
「消防が来たで!生きとんやったら返事せぇ!」
と呼びかけました。
あんな強い言葉を使ったことは後にも先にもありません。一刻を争う事態でしたから、「来てください」とかそんな悠長な言葉は使っていられませんでした。
呼びかけをしたら「助けて!」という声が聞こえてきたので、「よっしゃ!今、助けるから待っとけや!」って返事をして。声があった方へ向かい、倒壊した家屋から救出するということが何軒も何軒も続きました。
救助すると、性別も判断付かないような状態で、みんな真っ黒な顔をしていました。ガレキの中は真っ暗で目をつむった状態と一緒です。その中で必死にもがいて生きていたので、ススやゴミが体中に付いて真っ黒になっていました。

画像はイメージです(写真提供:神戸市)。
ーどんな思いで救出活動をされていたか、お聞かせください。
生きていて欲しいと思っていました。とにかく助かっておいてほしい。生きていて「助けてくれ」と言ってくれることを願っていました。
助ける側にも恐怖がありました。救出するのは今にも崩れそうな家ばかりです。次に揺れたら崩れるかもしれませんから、余震が来た時に自分たちが逃げることも考えないといけません。
倒壊家屋の現場では何かあったらすぐ対処できるように、隊員を必ず外に1人置いておいて、中に居る隊員と無線機で交信ができるようにしておきました。
隊員にも家族がいますから、守るところは守らないといけません。でも守るばっかりしては一つの命も助けられない。その辺りのジレンマはありましたね。
「焼け石に水」はこんな光景から出てきた言葉なのではないか
水も人も足りない、燃え放題の火災現場
地震災害の被害を大きくするものに「火災」がある。1923年の関東大震災や2024年の能登半島地震でも、地震の後に発生した火災によって被害はさらに大きなものになった。
内閣府『阪神・淡路大震災教訓情報資料集』には「家屋の倒壊・損壊という現象も、延焼拡大を助長した面があったとも指摘されている」とある。倒壊した家屋は住人の生命を損なうだけではなく、道路に散乱したガレキに着火するなどして火災の原因にもなる。
阪神・淡路大震災では地震発生から4分後、神戸市内だけでも60件の火災が発生した。書籍『阪神大震災 消防隊員死闘の記』によると、1994年の1日あたりの火災発生件数は平均2.6件。1日に起きる火災のおよそ20倍の火災が、たった4分の間に発生したのである。
特に火災の被害が大きかった神戸市長田区。その消火活動にも携わっていた野村さんに火災被害の実態も伺った。
ー10キロほど離れた長田区へ向かうとき町はどんな様子でしたか?
長田は13カ所で火災が起きていました。現地には4台ぐらいしか現場に行ける消防車がないから、絶対数が足りなかったのです。「早く応援に来てくれ」という現場からの要請を受けて長田区へ向かいました。
町は大渋滞で1キロ動くのに1時間かかるような状態でした。電話が全く通じない状況だったので、車で安否確認へ向かう人であふれかえっていたんですね。サイレンをどれほど鳴らしても、車と車の間が1メートルぐらいしか空いてない状態でしたから、消防車に道を譲ろうとしても譲る余裕がなかったのです。
ーそこにも倒壊している家屋はあったのでしょうか。
いっぱいありましたよ。渋滞はしていますし、倒壊した家屋で道がふさがっていたので現場に着くまでにはかなり時間がかかってしまいました。

画像はイメージです(写真提供:神戸市)。
ー消火活動では特に何が困っていましたか?
水不足ですね。
移動中に道路が波打っているのを見て、一瞬で「消火栓が危ないな」と気がついたのですが、現場に着いたら案の定消火栓は使えない状態になっていました。防火水槽も被災してしまっていたので、川や運河から水を引くしかないという判断になりました。
1月は雨が少ないので、川に水が少なかったことも苦労した点ですね。川をせき止めたところからポンプで水を吸い上げて、ホースとホースをつないで消火活動に当たりました。けど、そのホースの上を車がどんどん通って破られてしまう。水が止まって「またホースがやられたのではないか」と確認したらやっぱり破れていて。
ホースを交換している3分から5分間は燃え放題になる。水不足やこういう手間暇がかかって、火勢はどんどん強まっていく。延焼阻止は困難を極めるばかりでした。
人手や機材も足りなかったですね。火は放っておいたら東西南北、全方向に広がってしまうため、通常の火災現場では四方向から火災現場を囲むように消火します。四方向から2台ずつ、8台ぐらい消防車があれば大体の火災なら消火できます。
でも、あの日は1カ所の火災現場に1台すら消防車を配置できない状態で。ようやく消防車が1台東側の方に入っても、北、西、南側への延焼は防げません。
応援にかけつけても、燃えてから2、3時間以上延焼を止めないままだったので現場は燃え放題になっていました。「焼け石に水」っていう言葉はこういう光景から出てきた言葉なんだろうなと思います。消火できなかったところは燃え尽きて、何にも残っていない状態になっていました。

画像はイメージです(写真提供:神戸市)。
地震から1、2ヶ月経った非番の日に、現場を見に行きました。
現場に着くと、小さい骨がいっぱい落ちていたのを見かけました。あたり一面真っ黒でしたから、白い色をした骨は小さくても見つけられるんですね。
大きい骨はご遺族が持って行っていたのでしょう。拾いきれなかった小さな骨を見て、やはり助けられなかったのかと……。
そんな現場もたくさんありました。

画像はイメージです(写真提供:神戸市)。
ー地震発生後はすぐに消火・救助活動をされていたと思いますが、野村さんのご家族の安否はいつごろ分かったのですか?
家族の安否はしばらく分からない状態でしたね。電話も何度か家にかけてみたんですが、全然通じません。
そんなとき、地震から4日目に、嫁に行っていた娘が残してくれた、A4を半分くらいにした大きさのメモを受付の隊員から受け取ったんです。
「お父さんへ、家族みんな元気です。仕事頑張ってください。家族より」
4日目のもう辛抱できないという時に、 初めてメモをもらって。辛さや不安が溜まりに溜まったところで「家族みんな生きている」ということが分かったんです。消防署のガレージでどんなに大きな声で泣いたことか。
ほんとうに大きな声で泣きました。
ー本当に辛いご状況だったと思います。野村さんは町の被害をどのような気持ちで見られていましたか?
あの時、消火活動をしながら「神戸は終わったな、もう再生できないのちゃうか」と思っていました。
あまりにも被害状況が大きすぎる。一軒や二軒燃えて潰れたりするのではなくて、町全体、東灘から須磨ぐらいまでの10キロから20キロにもおよぶ地域が、神戸の中心部が木っみじんにやられている。かろうじて残っているけども、建て替えなきゃいけない家もたくさんある。
「もう終わったな。これから、どないするんやろうな」と。次から次へと救助・消火活動をしながら、「どないかならなかったんかいな」というようなことを思っていました。
観測史上初の震度7を記録し、甚大な被害をもたらした阪神・淡路大震災。この災害は、住宅が密集する都市部における防災対策など、多くの教訓を残した。耐震化の重要性もまたその一つだ。
警察庁は死亡者のうち5,502人の死因を調べ、87.8%にあたる4,831人の死因を「家屋、家具類等の倒壊による圧迫死と思われるもの」と推定している。耐震性が充分であり、建物が倒壊しなければ救えていたかもしれない命である。また、建物の倒壊は火災の原因になり、さらには道路を塞ぐことで、より被害が大きくなる要因ともなった。
専門家や被災者、さらには消防士たちが痛感した耐震化の重要性。阪神・淡路大震災の教訓を生かし、住民の命を守るためにも住宅の耐震化をさらに進めることが求められている。
「地震」と「被害」は分けて考えるべきだ
観測地震学の専門家が示す被害を減らすための視点
地震が発生、住宅の倒壊や火災などの甚大な被害が出ると「大きな地震だったから被害も大きくなったのだろう」と思ってしまいがちだ。しかし、東京大学の平田直名誉教授は「地震の大きさ」と「被害の大きさ」は分けて考えるべきだと指摘する。

東京大学名誉教授。観測地震学を専門とし、地震調査研究推進本部地震調査委員会委員長、気象庁南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会会長、地震防災対策強化地域判定会会長を務める。
著書:『地震を知って震災に備える』(亜紀書房)、『首都直下地震』(岩波書店)、『巨大地震・巨大津波 ─東日本大震災の検証─』(朝倉書店)。
「地震が起きても被害(震災)が発生する場合もあれば、ならない場合もあります。地震と被害(震災)はをきちんと区別する必要があるのです。
地震は地下の岩石に力が加わることで、岩石がずれるように破壊される物理現象です。地震が発生するためには『岩石に力が加わること』と『力が加わったところに壊れるような脆いところがあること』の2つが必要です。
岩石に力が加わる理由は、地球上を覆っているプレートが水平方向に動くからです。日本はプレートとプレートの境界に位置しているため、複数枚あるプレートが押し合ったり引き合ったりすることによって地下の岩石に力が加わり、岩石はたびたび変形を受けて強度が弱くなります。
最も弱い場所がプレートの境界付近です。
例として東北地方太平洋沖地震(東日本大震災を引き起こした地震)のケースを紹介しましょう。東北地方の太平洋側では海の方にあるプレートが日本列島の方に、1年間に約10センチメートルの速さで沈み込むように動いています。
強い力によって沈み込まれる側の岩石が変形し、それが一定の大きさを超えると、岩石が跳ね返ることによって地震が起きます。これが東北地方太平洋沖地震、マグニチュード9.0の地震が起きた理由です。
内陸部でも別の理由で岩石の強度が弱まっている所があります。
かつて、日本列島はユーラシア大陸とつながっていたのですが、そこから東にずっと動くことで今の日本列島が形成されました。この動く過程で日本列島の内部には断層、いわば“古傷”がたくさん生じています。プレートの及ぼす力は内陸にも伝わっていて、こうした“古傷”が力に耐えきれずに大きく動くことで日本の内陸部でも地震が度々起きているのです。
プレートの境界と内陸部にそれぞれ岩石の強度が弱い場所がたくさんあるので、地震が多く発生します。統計によると、世界中で起きている地震の約2割が日本の内部及びその周辺で起きています。
地震によって地盤が強く揺れ、この揺れによる力が建物の強度を超えると、建物は倒れてしまいます。地震でなぜ被害が起きるかというと、揺れに抵抗する力が弱い建物が倒れ、その中に居た人がケガをしたり、亡くなったりしてしまうからです。
建物が倒れなければ被害をかなり減らすことができます。その方法の一つが「住宅の耐震化」です。およそ100年前の関東大震災でも重要性が指摘されていますが、2024年に発生した能登半島の大地震を経験して、改めて耐震化が大切であると感じました。

石川県ホームページから
テレビで映る能登半島の被害を見ると、家々が全部倒れているように見えます。しかし、たとえば珠洲市の市役所は少なくとも外から見ている範囲では壊れていません。きちんと耐震化されているからですね。
残念ながら、輪島市も珠洲市も現在の耐震基準を満たしていない住宅が全体の半分くらいあり、その多くが壊れてしまいました。能登半島地震では色々な問題がありますが、まず重要なことは住宅が潰れて一撃で命を失ってしまった方が約200人いることです。これは極めて高い数字で、耐震化すれば助かったかもしれない命です。
また、避難の長期化を防ぐためにも住宅の耐震化は必要です。
なぜ避難所に行かなければいけないのかというと、家が壊れて住み続けられないからですね。住宅が壊れなければ、食料や水の供給や支援があればしばらくはそのまま暮らしていける。プライバシーも守れる上に、高齢者や病気の方も、避難所の生活よりは環境がいいはずです。
住宅を耐震化して機能を維持できるように強化するということは、命を守るだけではなくて命をつなぐという意味で、災害関連死を減らすという観点からも非常に重要なことです」
100年以上前からその重要性が分かっていた住宅の耐震化。阪神・淡路大震災の後ももっと住宅の耐震化を進めるべきだという声はあったが、それらの教訓を生かしきれずに熊本地震や能登半島地震においても、住宅の倒壊による被害が起きてしまった。
次回、第2回では住宅の耐震化がどのくらい被害を減らすことに効果的であるか、あるいは耐震化されていないことでどれほど被害が拡大してしまうか、その実態に迫る。

※以下の箇所に誤字が認められたため修正いたしました。
・2025年5月29日
グラフ「最大震度7を観測した地震」
修正前:「※3 2020年12月以降の一連のの地震活動を指す」
修正後:「※3 2020年12月以降の一連の地震活動を指す」
編集後記
野村さんの取材は、神戸市の「人と未来防災センター」で行いました。
全面ガラス張りの壮麗な建物からは神戸の街並みと人々が見渡せます。校庭でスポーツにいそしむ少年少女たち。買い物袋をさげて家路を急ぐ人々。30年前に凄惨な出来事があったとは信じられないくらい、のどかで平和な生活が送られていました。
この穏やかな日常に至るまでには多くの方の並大抵ではない苦労があったはずです。阪神・淡路大震災で犠牲となられた方のご冥福をお祈りすると共に、今回の記事で触れることができなかった復旧・復興に尽力された方々の苦労や努力にも思いをはせたいと思います。

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