「やさしかった母が、いつの間にか訳のわからないことを口にしている。これまで聞いたことのない暴言や悪口を吐いている。
愛する人が、自分と相容れない人に変わっていくことは、本当に苦しいです」
東京都内に住む30代男性のぺんたんさんは、陰謀論を信じるようになった母親の変化についてそう話す。
ぺんたんさんの母親(60代)は、コロナ禍の2020年夏頃から、離れて暮らすぺんたんさんにLINEで怪しいYouTube動画を送るようになった。
<新型コロナワクチンの接種を推奨しているのは、人口削減のためだ>
内容は次第に攻撃性・排他性を増していき、特定の人への暴言も見られるようになった。
<コロナを世界中に広げた◯◯国の馬鹿野郎に復讐をする>
「すごく混乱しました。心配して電話や対面で話しましたが、言うことを信じない私に凄まじい怒りをぶつけてきて。まるで母に得体の知れないものが憑依しているようでした。
大好きだった母は、もういない。なんとかしたいと思っていろんなことを試みましたが、現在は距離をとることにしています。必要最低限の事務的な連絡をするだけです」(ぺんたんさん)
リディラバジャーナル、今回の構造化特集のテーマは「偏向する高齢者〜ネットが生み出す親子の分断〜」。
高齢者がネット空間やSNS上の偽・誤情報や陰謀論を信じることで、考えや価値観が偏り、親子の関係が分断される事象が起こっている。
なぜ高齢の親は偽・誤情報や陰謀論を信じてしまうのか。偏向した親と子ども、家族にはどのような分断が生まれるのか。
本特集では、高齢者の偏向と親子の分断が生まれる構造を明らかにする。
増加する高齢者のネット・SNS利用
近年、高齢者のネット・SNS利用が増加している。
総務省の令和4年通信利用動向調査によると、60〜69歳の高齢者のネット利用率は86.8%、70〜79歳では65.5%。
SNS(Facebook、Twitter、LINEなど)の利用率も60〜69歳では73.4%、70〜79歳では63.9%となっており、ネット利用率とともに前年より上がっている。
長年パソコン教室などを運営し、高齢者のITリテラシー向上に尽力してきた山根明さんは、周囲の高齢者のネット・SNS利用状況についてこう話す。
1935年生まれ。88歳。65歳で会社を退職後、シニア向けパソコン教室やiPad教室を主宰。コロナ渦を機に2020年8月から活動の軸足を世田谷から地元・小金井市に移し、「東京スマホ研究会」として高齢者を対象にしたスマホ講座などを行っている。
「いまはガラケーからスマホへの移行期です。高齢者にとって、スマホは友人や家族とのコミュニケーションツールとして欠かせない存在になりつつあります。
まだネット・SNS利用はハードルを感じている方が多いですが、スマホを通じてネットやSNSに触れる機会が増えてきているのは確かです。
私自身も普段はスマホやパソコンを使って情報収集をしています。同世代と比べると積極的にネットを利用している方ではありますが、いまではテレビ番組や新聞はほとんど見なくなりました。
テレビはネット動画の視聴用として、FireTV対応のハイビジョン液晶のものを使っています。YouTubeのニュース、Amazon prime videoやNETFLIXの映画などを大画面でみることがよくあります」
スマホの利用状況に関しては、令和4年通信利用動向調査でも「60〜69歳の73.7%、70〜79歳の46.9%が利用」となっている。
高齢者ほど信じやすい傾向も。情報の真偽判断の現状
高齢者のネット・SNS利用が増加しているが、現状では、どれだけの人が偽・誤情報、陰謀論を見聞きしているのか。
たとえば、みなさんは以下のような情報を見聞きしたことがあるだろうか。
<安倍晋三元首相が銃撃される事件が起きた際、立憲民主党、日本共産党、れいわ新選組は演説を続けていた>
<米国の政府やメディア、金融界は、児童の性的人身売買を世界規模で行う、悪魔崇拝の小児性愛者集団によって支配されている>
「偽・誤情報、陰謀論の実態と求められる対策(Innovation Nippon 2022)」の調査によれば、こうした「偽・誤情報」「陰謀論」各6つの情報のうち、1つ以上見聞きしたことのある人の割合は「偽・誤情報」が26.4%、「陰謀論」が19.1%だった(※1)。
真偽判断に関しては、偽・誤情報については見聞きした人の約4~6割が「正しい情報だと思う」と回答。陰謀論については約1~3割の人が正しいと答えた。
注目したいのは、年代別の真偽判断の結果だ。20代や30代の若い世代ほど偽・誤情報や陰謀論を信じにくい傾向があり、50代や60代の高齢層ほど信じやすい傾向が見られた。
現在、ネット空間やSNS上にはどのような種類の偽・誤情報が広がっているのだろうか。日本ファクトチェックセンター編集長の古田大輔さんはこう語る。
株式会社メディアコラボ代表取締役/日本ファクトチェックセンター(JFC)編集長。朝日新聞記者、BuzzFeed Japan創刊編集長を経て独立。2020-2022年Google News Labティーチングフェロー。2022年9月に日本ファクトチェックセンター編集長に就任。その他の主な役職にデジタル・ジャーナリスト育成機構事務局長、ファクトチェック・イニシアティブ理事など。ニューヨーク市立大院News Innovation and Leadership 2021修了。
「偽・誤情報が多いのは事件や災害、選挙にまつわるニュースなどです。社会的に注目される事案が起こったときに広がるケースが多いですね。
近年は特に新型コロナウイルスに関するものが目立ちます。コロナ禍ではワクチンの偽・誤情報が多かったですし、現在(※23年5月24日時点)も増えてきています。
これは公的機関や報道機関が以前よりも発信しなくなったことから、偽・誤情報を信じ、流す人たちの方が割合として多くなったということではないかと思います」
高齢者が信じやすい要因については、山根さんから「高齢者はネットの使い方を学ぶ機会がほぼない」という指摘もあった。
「『この歳になって初めてガラケーからスマホに変えます』という方や、スマホをガラケーの延長線上の“携帯電話”と認識している方、メールしか使えない方などが多いです。
IT機器を買って使いこなすまでに、使い方やネットリテラシーを教わる機会はほとんどありません。高齢者にとってスマホは、使いこなすようになるまでは不安とストレスの塊です。
何をどうしたらいいかもわからず、ネット・SNS利用自体を諦めるか、あるいは自分で触り続けて理解していくしかないのが現状です」
「肌感としては電話とメールだけで、ネット・SNS利用は諦める人が多いです」と話す山根さんだが、後者のようなネットリテラシーの低い高齢者が、ネット情報の真偽判断を誤ってしまうことは想像に難くない。
ネット空間やSNS上の偽・誤情報、陰謀論を信じてしまう要因については、第3章「考えや価値観を偏らせるもの」で解説する。
心理的な距離を取ることが難しい。親子関係特有の難しさ
高齢の親が偽・誤情報や陰謀論を信じると、親子関係が分断される可能性がある。冒頭のぺんたんさんのように、読者の中には偽・誤情報や陰謀論を信じる親に不安を感じていたり、トラブルを抱えている方もいるのではないだろうか。
親子関係特有の難しさについて、ぺんたんさんは「親子だからゆずれないところはあると思います」と話す。
「人によっていろいろな親子関係・家族関係があると思います。私の場合は、もともと母と仲が良くて。いまの自分があるのは母のおかげという思いもあります。
母がどんなに自分の許せない人間に変わっていっても、簡単に関係を切れるかと言ったら、やっぱりできないんですよ。好きだった母に戻って欲しいと思ってしまう。
もし衝突したのが母じゃなかったら、とっくの昔にブロックして関係を終わらせていると思います」
さまざまな親子関係の問題を見てきた渡辺裕子さん(NPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会 代表理事)も、「心理的な距離の近さが分断を強めている可能性はある」と話す。
NPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会理事長/「渡辺式」家族看護研究会副代表。1982年千葉大学大学院看護研究科修了後、市町村保健師として勤務。その後「家族看護研究所」「家族ケア研究所」を立ち上げ、2022年から現職。長年、患者・家族、職場の人間関係に悩む看護職のサポートを行ってきた。「NPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会」では、「ケアが循環する社会の実現」を理念に掲げ、一般市民を対象とした「かぞくのがっこう」のほか、「渡辺式家族アセスメント/支援モデル」に関する各種セミナーを実施している。
「親子関係と一口に言っても、関係が希薄な場合もあれば、親が子どもを支配しようとしてしまっているケースもあります。関係性は人それぞれであり、一概には言えませんが、親子関係の特徴として“心理的な距離の近さ”は挙げられます。
子ども側としては、最も身近な存在である親が変わっていくことに、強い切なさや寂しさを感じるでしょう。
『親の問題は自分たち家族の問題』と認識することもあります。自分がなんとかしないといけない、近所の人や親戚に迷惑をかけられない。そんな思いから、親の変化を放っておくことができず、戻ってほしいと言ってしまう。
一方で親側は、いくつになっても『子どもを守る存在は自分である』『子どものために自分がなんとかしないといけない』という“親役割”を持っています。
あなたを助けたい、あなたの役に立ちたいという思いから『この情報を教えてあげなくちゃ』という行動につながったり、『なぜ拒絶するのか』という怒りの感情を抱くこともある。
お互いの心理的距離が近いゆえに分断が生じ、ますます深まっていくこともあると思います」
考えや価値観が偏向した親と、子どもはどう向き合っているのか。どのような困りごとや分断が起こっているのか。
親子関係の分断の実態は第1章「偏向の先にある親子の分断」で、家族関係特有の難しさについては第3章「あきらめきれない親子関係」で詳しく見ていく。
各記事の紹介
【1章 偏向の先にある親子の分断】
<1回 愛する親が暴言を吐く——。陰謀論を信じる母との分断>
「たとえ母親が自分の許せない人間に変わってしまっても、育ててくれた人であることは変わらない。離れればいいとはわかるけど、すぐに関係を絶つという判断はできませんでした」
親が陰謀論を信じることで引き起こされる親子関係の分断とは。ぺんたんさんへのインタビューを通じて、親の考えや価値観が偏向していく経緯や、子どもの困りごとを明らかにする。
<2回 「世界には“裏の勢力”がいる」前市議会議員が現在の考えを持つに至るまで>
「“裏の勢力”に気づいていない方々の救いは、最後になります。説得できない方々が存在するのは、やむを得ないことです」
“西側と東側の世界の背後に君臨する悪の勢力”の打破を目指す、自然共生党代表の谷本誠一さん。現在の考えや価値観の形成過程に迫る。
【2章 考えや価値観を偏らせるもの】
<3回 偏向する高齢者。なぜ偏った情報を信じてしまうのか?>
人が偽・誤情報や陰謀論を信じ込むとき、心の中にはどのような感情が渦巻いているのか。
「社会の秩序が揺れ動いて不安を感じたとき、人は『社会は何かしらの制御下にある』と考えることで、秩序を保とうとする心理が働くことがあります」
陰謀論を研究する辻隆太郎さんの視点などをもとに、考えや価値観が偏っていく際の内的要因を見ていく。
<4回 「真実に気づいて」に多くの反応。高齢者の偏向を加速させるネットのふたつのメカニズム>
「ネット・SNS利用を原因に、考えや価値観が極端に偏ったり、社会が分断されたということを定量的に示した研究成果はまだありません。
ただ、ネットやSNSを利用する中で、取得する情報が同質化したり、過激化したりする可能性は十分に考えられます」(東京工業大学環境・社会理工学院准教授 笹原和俊さん)
現代のネット空間やSNS上では、個人の興味関心に合わせた情報や、同質性の高い情報が流れてくる。このメカニズムは高齢者の考えや価値観にどのような影響を与えているのか。
偏向の背景にあるメディア環境の課題を探る。
【3章 あきらめきれない親子関係】
<5回 「親のSNS利用に不安を感じたことは?」アンケートが示す子どもの声>
リディラバジャーナルでは、本特集に合わせて親のSNS利用に関するアンケートを実施した。
「陰謀論的な怪しいyoutubeを見ているフシがある」「会話が成り立たない」「身内の恥を外に晒したくないと母が望んでいる」——。
高齢者のSNS利用の実態や、高齢者の考えや価値観の偏りによる家庭内の問題を整理する。
<6回 「身内のことは身内で」親子関係の分断が生じ、深まる背景>
「『家族のことは家族でなんとかしなければならない』という思いが、親と子の衝突を強めてしまう側面はあります」
考えや価値観が衝突し、関係が分断してしまう背景には、親子関係特有の難しさがある。さまざまな親子関係のもつれを見てきた、NPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会 代表理事の渡辺裕子さんと考える。
【コラム ネット右翼化する高齢者】
<親の差別的発言が止まらない——。なぜ高齢者はネット右翼になるのか>
過度な考えや価値観の偏りは、過激なネット右翼化や排外主義につながることもある。
高齢者がネット右翼化し、排外主義に傾倒してしまう要因とは。作家・評論家であり、長年にわたってネット右翼を取り上げてきた古谷経衡さんへのインタビューから紐解いていく。
【4章 偏向への対策の難しさ】
<7回 偽・誤情報や陰謀論の流れる量に追いつかない。求められる対策とは>
「偽・誤情報に対するファクトチェックのコンテンツを増やすことが第一ですが、同時にニュースリテラシー、情報リテラシー、ネットリテラシーなどに関する教育も必要です」(日本ファクトチェックセンター編集長・古田大輔さん)
SNS上の偽・誤情報や陰謀論には、どのような対策がとられているのか。その現状と課題に迫る。
【5章 解決の方向性】
<8回 解決の方向性>
高齢の親がネット空間やSNS上の偽・誤情報、陰謀論に惑わされず、考えや価値観が偏向しないためには、どのようなアプローチが必要なのか。解決への方向性を模索する。
※1「偽・誤情報」「陰謀論」の選択基準について
同調査で「偽・誤情報」は、これらの偽・誤情報を選択した基準は、2022 年に拡散された、かつ、BuzzFeed や InFact、FIJ の Fact check Navi でファクトチェック記事が取り上げられた偽・誤情報の中から、拡散量が明確なものを拡散量が多い順に 3 件抽出している。また「陰謀論」は、ファクトチェック団体や大手メディアの中で陰謀論として取り上げられており、広く拡散したことが知られているもの、オンラインに限らない影響があった陰謀論などを網羅的に抽出している。また、可能な限り近年広まった陰謀論を取得している。
【参考文献など】
<書籍・論文>
ぺんたん (原著), まき りえこ (著)「母親を陰謀論で失った (シリーズ立ち行かないわたしたち)」(KADOKAWA、2023)
笹原和俊「フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ」(化学同人、2018)
辻隆太朗「世界の陰謀論を読み解く」(講談社、2012)
古谷経衡 「シニア右翼-日本の中高年はなぜ右傾化するのか」(中央公論新社、2023)
<調査等>
内閣府「男女共同参画白書 令和4年版」
内閣官房孤独・孤立対策担当室「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和4年人々のつながりに関する基礎調査)調査結果の概要」
総務省「令和4年通信利用動向調査の結果」
総務省 プラットフォームサービスに関する研究会(2023/5/11)「エコーチェンバーとフィルターバブル:プラットフォームが促進するフィードバックループ」
Innovation Nippon 2022 報告書「偽・誤情報、陰謀論の実態と求められる対策」