「苦しくても、周囲に助けを求めていいんだという発想がありませんでした。
まさか障害のせいなんて思わないから、ずっと『自分が悪い』『自分のせい』で、我慢すべきものだと思っていました。
学校にも家庭にも居場所がなかったから、本当にひとりぼっちだったんですよね。理解してくれる人や信頼できる人は、ひとりもいませんでした。
それでも、とにかく学校には行かなきゃと思って。命がけでした」
発達障害の一つである自閉スペクトラム症(ASD)の当事者、宇樹義子さんは小学生のときの学校生活を振り返ってそう語る。
(写真:宇樹さん)
令和4年12月の文科省の調査(※)によれば、現在、小学校・中学校の通常学級に在籍する生徒のうち、8.8%が(知的発達に遅れはないものの)学習面または行動面で著しい困難を示している。1クラス約30人とすると、教室内に2〜3人は困難を抱えているということになる。
(※令和4年12月 文科省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」より)
行き届かない支援の現状
本来であれば、そうした困難を抱える子どもたちに対しては、一人ひとりの状況に合わせた教育的支援が必要となる。
しかしながら同調査においては、
・校内委員会において、特別な教育的支援が必要と判断されていない(約7割)
・「個別の教育支援計画」が作成されていない(約8割)
・特別支援教育支援員の支援の対象となっていない(約8割)
・授業時間以外の個別の配慮・支援が行われていない(約7割)
などの実態が明らかになった。
校内委員会とは、困難を示す生徒の早期発見や実態把握、学級担任の指導への支援方策の具体化など、校内における全体的な支援体制を整備するために開かれるものだ。
校内委員会において「特別な教育的支援が必要」と判断された場合においても、
・「個別の教育支援計画」が作成されていない(約5割)
・特別支援教育支援員の支援の対象となっていない(約6割)
・授業時間以外の個別の配慮・支援を行っていない(約5割)
といった調査結果が示されている。
調査の対象は、あくまで「学習面や行動面で著しい困難を示す生徒」であり、「発達障害のある生徒や知的発達に遅れがある生徒」ではないが、発達障害の当事者は学習面・行動面でさまざまな困難を抱えやすい。
調査結果からは、発達障害の診断の有無に関わらず、“いま特別な教育的支援が必要な子どもたち”に対して、十分な支援が行き届いていない様子がうかがえる。
今回の構造化特集のテーマは「学齢期の発達障害」。
小学校・中学校の通常学級にて、発達障害やそれらに近い特性のある子どもたちが抱える困りごとが見過ごされ、自己責任とは言い難い挫折経験をしている現状がある。
子どもたちは発達の特性からどんな困りごとを抱え、なぜ挫折してしまうのか。
学校現場や保護者は、なぜ子どもたちの特性や困りごとに対応できないのか。
子どもたちの特性が早期に発見され、困りごと化・深刻化しない環境が整備されるためには何が必要なのか。
本特集では、子どもたちの困難と“困難が見過ごされてしまう構造”を明らかにする。
環境が『障害』を左右 発達障害とは何か
そもそも「発達障害」とは何か。
発達障害者支援法では、「発達障害」は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」と定義されている。
多様なケースのうちの一例だが、症状別では以下のような特性を持つことが多いとされる。
◯自閉スペクトラム症(ASD)
・言葉の遅れ
・こだわりが強い、変化が苦手
・癇癪を起こす など
◯注意欠如・多動性(ADHD)
・課題に集中できない
・忘れ物や不注意が目立つ
・行動や感情のコントロールが難しい など
◯学習障害(LD)/限局性学習症(SLD)
・読み書きが苦手
・算数が苦手 など
また、ASDとADHDを同時に持つなど、症状が併存することや、知的発達の遅れを伴う場合もある。
(厚生労働省「発達障害の理解のために」より)
発達障害は先天的に脳機能の発達に偏りがあることが原因とされているが、具体的な要因や発生のメカニズムは、最新の医学的研究においても明らかになっていない点が多い。
鳥取大学院医学系研究科の臨床心理相談センター長でカウンセラーでもある井上雅彦教授は、「発達障害としての生物学的な特性があったとしても、必ずしもそれが『障害』となるわけではない」と話す。
鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授。応用行動分析学をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のためのさまざまなプログラムを開発している。
「本人を取り巻く周囲の環境によって、その特性が不適応状態を生じさせることになるかどうか、困りごとを抱えることになるかどうかが決まります。
発達障害の特性に合った環境、本人が困りごとに直面せずに過ごせる多様な選択肢を用意すること、不適応状態になったときに即応できる体制が大切です」
「学齢期」の重要性 見過ごされた先の深刻化
本人が困りごとを抱えるタイミングはさまざまだが、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動性(ADHD)などは、幼児期からその特性があらわれやすい。
しかし井上さんは「就学前に特性のある子ども全てを捉えて支援するのは難しい」と話す。
「知的な遅れを伴う場合は、乳幼児健康診査(1歳半健診や3歳児健診)などで比較的早く周囲が子どもの特性に気づき、診断や支援につなげることができるのですが、知的な遅れがない場合、あるいは知的な機能が高い場合には気づきにくく、診断や支援につなげにくい現状もあります。
また幼児期は症状も変化しますし、発達にも個人差があります。
特性があると気づいても、診断基準を満たしているのか、それとも『少し変わっている子』なのか。いまフォローが必要なのか、そうではないのか。判断は難しい。
フォローが行き届いた自治体とそうでない自治体といった地域差もありますし、親御さんが相談窓口や病院に行かれずフォローが困難な場合もあります。
比較的柔軟な保育環境では、問題を特に感じなかった子どもも学齢期になり、複雑な集団ルールのある学校に適応しようとする中で、行動面や学習面で困りごとが出てくるなど、思春期の入り口である小学校高学年ぐらいから、対人関係の困りごとが徐々に顕在化してくる場合もあります。
そのときに配慮や支援がなく見過ごされると、子どもは失敗経験を重ねることになり、最終的に不登校や学校不適応という形で表出し、発達障害と診断されるケースが一定の割合であります」
子どもが直面している困りごとが見過ごされると、子どもの自尊感情の低下や、学校不適応、不登校・ひきこもり。うつや不安障害といった更なる困りごとを抱えてしまうリスクが大きいことがわかっている。
冒頭に登場した宇樹さんも、特性や困りごとが見過ごされた子どもの1人だ。高機能自閉症(現在はASDに分類されることが多い)と診断が下りたのは32歳のときだったという。
「これまで経験したことは私の甘えのせいじゃなかったんだと、ホッとしました。処方された薬も効くし、生活する上でこんなに楽なことってあるんだなと」
特集では、別の当事者のかおふあさんにも話を聞いた。もともと気分障害を抱えていたが、30代になってから発達障害かもしれないと気づき、診断を受けた。
「いまだに生きづらいという感覚があります。小学生のときの私を認めてくれる人が1人でもいれば、ちょっとは違ったのかなと、いまは思います」
親、先生、医療、福祉 見過ごされる挫折の構造
こうした現状に対して、文科省はさまざまな取り組みを進めている。
令和4年3月 「特別支援教育を担う教師の養成の在り方等に関する検討会議報告」では、「全ての教師に対し特別支援教育の知見や経験を蓄積するための組織的対応」を求めた。
一方で、今回取材を進めていくと、子どもたちの特性や困りごとを早期に発見、支援することが難しい学校現場の実態も見えてきた。
本特集では、発達に関する特性や困りごとが見過ごされてしまう子どもたちと、親や教員など子どもたちを取り巻く関係者にフォーカス。
子どもたちの失敗体験、挫折が見過ごされてしまう構造を紐解くとともに、実効性ある支援を実現するための方策を考える。
各記事の紹介
1章 居場所なき子どもたち
1回 「学校に行くのは命がけだった」発達障害の当事者が直面した学齢期の挫折
「本当にひとりぼっちだったんですよね。理解してくれる人や信頼できる人は、ひとりもいなかった」
子どもたちは学校や家庭で、どのような挫折経験をするのか。自閉スペクトラム症(ASD)の当事者であるライターの宇樹義子さんに、当時のエピソードや思いを聞いた。
2回 困っていることをうまく伝えられない――。子どもの発達障害、なぜ挫折経験は生まれるのか
第1回の宇樹さんの経験談や、現在発達障害の傾向があると診断を受けている当事者、学校現場の教員の話をもとに、子どもが挫折してしまう要因や構造に迫る。
「冗談がわからなくて、話についていけない。本気で落ち込んじゃうんですよね。常に顔色を窺っていて、自分に自信が持てなくなりました」(クロミツさん)
「普通の子になりたかったけど、どうすればいいのかわかりませんでした。親からは『あなたなら大丈夫でしょ』と言われて」(かおふあさん)
コミュニケーションをとることが難しい、困りごとを言語化できない――。子どもたちは深い苦悩を抱えていた。
2章 子どもの困難に対応できない学校現場
3回 対応したくても対応できない。発達障害、子どもと向き合う教員の実情
「具体的に何をすればいいのかがわからない」
三鷹市立第二中学校の特別支援教室の担任を務める高松慶多さんは、通常学級を受け持つ教員からそんな声を聞くという。
発達障害や特別支援教育に対する「専門性」や、教員の多忙化を切り口に、支援が行き届かない学校現場の実情に迫る。
発達障害やそれらに近い特性のある子どもに早期に気づき対応するには、学校の組織的対応が必要不可欠。
しかし子どもたちの特性や困りごとに気づいても、組織的な対応ができない――。そんな状況に直面している学校現場がある。
教員の多忙化、校内の支援体制の弱さ、保護者とのコミュニケーションの難しさ。実効性ある支援を阻む構造を見ていく。
3章 子どもの挫折に苦慮する保護者たち
5回 「わかっていたけど、認められなかった」子どもと向き合う保護者の葛藤
現在、発達障害のある小学生・中学生の2人の子どもを育てている瀬島早織さんは語る。
「わかっていたけど、認められない。誰かに『違う』と言ってほしい。診断されるまでは、そんな気持ちもありました」
「先生も普段の業務で手一杯みたいで。親から何か言ったら、先生の負担になるかもしれないとも思って」
特性や障害のある子どもの育児に向き合いながら、学校・医療・福祉らさまざまなステークホルダーと緊密に情報を共有することが求められる保護者。
常に抱えている不安や焦り、障害を受容することの困難さなど、保護者が子どもの挫折に苦慮する構造を解き明かす。
4章 子どもを取り巻く専門家の苦悩
6回 高まる支援ニーズに、対応が追いつかない。発達障害の子どもを取り巻く専門家の苦悩
学齢期の子どもの挫折を見過ごさないためには、早期に医療や福祉といった関係機関につながり、支援を進めることが重要だ。
しかしそれぞれの現場では、子どもの困りごとに十分に対応できていない実情がある。
「子どもを取り巻く関係機関が、リソース不足などさまざまな課題を抱えている。親御さんと関係者間をつなぐ“あいだ”の存在が求められています」(児童精神科医の岡琢哉さん)
医療と福祉の現場にフォーカスし、各現場が抱える課題を明らかにする。
5章 社会に出て抱える困難
7回 受け入れること、選択することの難しさ。発達障害の子どもが社会に出て抱える困難
「子どものときに置かれていた環境によっては、“自分で道を決めること”に困難を覚える方がいます」
発達障害やそれらに近い特性のある子どもは成人後、就労に関してどのような困難を抱えるのか。
5章では、就労移行支援を行う民間企業に勤める倉田礼司さん(仮名)へのインタビューを通じて、当事者が社会に出ていくとき・出ていった後に困難を抱える構造を解説する。
6章 解決の方向性
8回 解決の方向性
子どもたちの特性が早期に発見され、特性による困りごとが発生・深刻化しない環境整備のためには何が必要なのか。6章では、解決のための方向性を示す。
1人でも多くの子どもたちが、自己責任ではない挫折経験を抱えないために。各現場が抱える課題や問題全体の構造を紐解き、課題解決のヒントを探っていく。
【参考文献など】
<書籍・論文>
●鷲見聡「発達障害のサイエンス――支援者が知っておきたい医学・生物学的基礎知識」(日本評論社、2022年)
●浜内彩乃「発達障害に関わる人が知っておきたいサービスの基本と利用のしかた」(ソシム、2021年)
<ウェブサイト等>
●文科省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」
●文科省「特別支援教育を担う教師の養成のあり方等に関する検討会議報告」
●文科省「特別支援教育について」
●厚労省「発達障害の理解のために」
●厚労省「みんなのメンタルヘルス」