スイカって、中は赤いんだね――。
「ある中学2年生の子どもが、割られたスイカの断面を見てそうつぶやいたんです。正直驚いてしまいました」
子どもと家庭を支援する認定NPO法人キッズドアに勤める安達空良さんは、NPOでみている子どもたちとスイカ割りをしたときのエピソードを語る。
「その子どもに詳しく話を聞いてみると、保護者の方は精神的な病気を抱えていて買い物には行けず、配達サービスを利用している。経済的にも苦しい家庭で、果物を買う余裕もテレビもない。だから、スイカを切ったり割ったりした様子をその目で見たことも、食べたことも無かったのです。
本人いわく、もちろんスイカという単語を聞いたことはある。外見も教科書で見たことはある。ただ、中が赤いということは知らなかった」

認定NPO法人キッズドア 事業推進部門 第1事業部 ディレクター。
「子どもにスイカも食べさせられないなんて」と、保護者を責めるのはたやすい。しかし、このエピソードを単なる「保護者の責任」や「家庭内の問題」として片付けることはできない。
昔であれば、同居する祖父母がスイカを切ってくれたり、近所からのお裾分けがあったりと、スイカを口にする機会は家庭の内外に転がっていた。しかし、現代においては核家族化が進み、地域社会のつながりは薄れ、結果として「スイカを口にする機会」は「家庭次第」という状況になってしまっている。
子どもに関わる大人は減っている。その結果、こうした大人たちによって提供されていた体験機会は少なくなり、保護者の状況が子どもの体験に直結する構造ができあがってしまった。
一人ひとりの体験に違いがあるのは当然である。だが、その違いは、単なる個人差として容認できないほどに広がっている。
リディラバジャーナルの構造化特集。今回のテーマは「【体験格差】どこに格差があるのか――。“自立の問題”として捉え直す子どもの体験」。
子どもが健やかに成長するために、豊かな体験は欠かせない。しかし、地縁の減少や子どもの貧困などを背景に、子どもの体験を支える環境はいま、大きく変化している。
本特集では、取材やデータを通して、体験が子どもの成長に寄与するメカニズムをひもとく。さらに、子どもの体験を支える環境が、時代や社会の変化によってどのように失われているのかを明らかにする。そして、それは成長や自立にどう影響するのかを見ていく。
スイカを食べた体験がないことがもたらすもの――体験によって築かれる世界との接点とは

そもそも、体験はなぜ成長に必要不可欠なのであろうか。理由の一つとして「体験は知識の土台になる」ということを独立行政法人国立青少年教育振興機構理事長の青木康太朗さんは挙げる。

独立行政法人国立青少年教育振興機構理事長。大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科スポーツ社会科学専修。国立室戸少年自然の家準専門職員、北翔大学准教授、國學院大學人間開発学部子ども支援学科教授・学科長を経て、2026年4月より現職。
「人は、人やものとの関わり、すなわち体験を通して知識や能力を獲得することで育っていきます。
それだけでなく、体験は学んだことを理解する上で非常に役に立ちます。色々な体験をしていると、知識の土台となる情報が揃っているから学校での学びも理解しやすくなるのです。
一方で、体験のバリエーションが少ないと、教科書に載っていることを教えられても、実感が湧かず理解や想像が難しくなるときがあります。
このように体験はあらゆる知識や能力を育むための土台となっています。
体験は学習の理解や定着と非常につながりがあるだけではなく、認知能力や非認知能力などの能力も育みます。体験はまさに『人間が育つ基礎である』と言えるのです」
冒頭で挙げた「スイカを食べた体験が無い子ども」について考える。
たとえば、その子どもが国語の教科書で「スイカの種を飛ばすシーン」に出会ったとしよう。スイカを食べたことがあれば、その情景がありありと思い浮かぶはずだ。だが、スイカを食べたことが無かったとしたらその様子はなかなか想像できないかもしれない。
国語の授業では時間的制約もあるため「スイカの種を飛ばすことはこういうことだ」ということを一から教えることはできない。しかし、そうしたことを教わらなくても「スイカの種を飛ばすシーン」を想像し、国語の授業についていけるのはスイカを食べた体験があるからなのである。
スイカを食べるという体験をすると“スイカの種を飛ばす光景”の他にも“中は赤い”、“シャクッという食感がする”、“種は小さくて黒い”、といった質感を「自分が知っている感覚」として獲得できる。
ある体験をするということは、質感や情景、さらには暗黙知や決まりなど、言語や文化を通して多くの人々が共有している世界とつながることでもある。その世界には学校で学ぶことの土台があり、コミュニティの基盤もある。
広大かつ曖昧なこうした世界との接点を、人々は体験を積み重ねることによって築いていく。そして、自分の世界を少しずつ広げていくのである。
スイカを食べるという体験をしていなかった子どもは、他にも多くの体験を喪失していたであろうことが想像される。それによって、世界とつながり、自分の世界を広げる機会をどれほど失ったのであろうか。
成長のプロセスと不可分――体験の本質と意義とは
2010年代からその問題が指摘されていた「子どもの体験格差」は、ここ数年、ようやく世間に広く認知されるようになった。ただ、注目が集まっている一方で、旅行といったお金がかかる体験への言及で終始することも少なくない。
そもそも「体験」とは何を指す言葉なのだろうか。文部科学省の所管する独立行政法人国立青少年教育振興機構は、「子どもの成長を支える20の体験」として一つの枠組みを示している。

この整理では歯磨きなどの生活習慣からキャンプなどの自然体験まで、多種多様な要素を包含する概念として体験を分類している。冒頭で「体験は人間が育つ基礎である」と語った青木さんは体験の意義についてさらに補足する。
「子どもは保護者や友達、遊具や自然など周りの環境との関わりを通して様々なことを感覚的に学んでいきます。
その中で何かをやり遂げたら達成感を味わって、自己肯定感や自信を持てるようになるし、困難を乗り越えることで、やり抜く力も育っていきます」
体験は自分の身体を使って何かを行い、人やものと関わりを持つということである。そして、子どもは体験を通して知識や力を積み重ねて一人の人間として自立していく。

一方で、体験は「児童の権利に関する条約」において「権利として保証されるべきものである」とも書かれている。

その背景について、国連子どもの権利委員会による文書 General comment No. 17 では「遊びと休息は学習のあらゆる側面に寄与します。さらに、日常生活へ参加する一つの形でもあり、それらがもたらす楽しみや喜びという点において、子どもにとって純粋に、本質的な価値を持っているのです(編集部訳)」と記されている(※1)。
子どもにとって体験は未来の成長につながるという面だけではなく、「いま、この瞬間が楽しい」という感動を通して人生を豊かにするのである。
人間は体験を通して知識や力を獲得していく。その獲得した知識や力、意欲は別の体験につながり、このサイクルを何度も何度も重ねることによって人は成長し、やがては自立する。さらに、成長という未来志向の面だけではなく、いまその瞬間の子ども時代を豊かに、幸せにするという点においても体験は重要である。
体験とは何か。なぜ成長や自立にとって大切なのか。第1章「子どもの体験が成長や自立に必要となる背景」でさらに詳しく説明する。
体験を支える大人の減少

体験は子どもの周りを取り巻く環境によって成立するが、子ども自身が体験機会を育む環境を整えるのは困難である。よって、時には大人の手でその環境を整えることも必要となるが、地縁の減少をはじめとした社会で起きている問題が要因で、大人側にその余力が無くなってきている。
子どもの体験は大人が介入することを前提とした「支援的体験」と、子どもたちから自発的にうまれる体験である「非支援的体験」に分けることができる。どちらの体験も同じくらい大切なものであるが、双方とも減少しているのが現状である。
支援的体験でいえば2012年から2023年にかけて、スポーツ少年団は団数が約20%減少、子ども会もその数が約50%程度にまで落ち込んだ。学校においても、行事の時間や規模を短くするなどしてその規模が小さくなっている。
こうした体験の機会は子どもたちだけで作ることは難しい。有償のサービスによって価格が上がる形で代替されることもあるが、それがなければこれらの体験機会はそっくりそのまま無くなってしまうということになる。
支援的体験のうち、子ども会の数が減ってしまった背景を文部科学省の葛城昌弘さんは語る。

文部科学省 総合教育政策局 地域学習推進課 青少年教育室 室長補佐(取材当時)
「多くの子ども会は、子どもたちを対象とした活動のためにそれを支える組織があるという構造になっていますが、その活動自体が新型コロナウイルス感染症のまん延により、数年にわたって実施できない状況が続いてしまいました。
感染症が落ち着き、いざ活動ができるようになっても、復活する力がないという状況なのではないかと考えています」
一度止まってしまったものを復活させることは難しい。過疎化や少子高齢化が進む中で地域の体験を支えていた組織や枠組みも、コロナ禍で活動停止を余儀なくされ、そのまま途絶えてしまったところもある。新型コロナウイルスは多くのものを奪ったが、「子どもの体験を地域で安価に提供していた場所」も奪われたものの一つなのであった。
一方、非支援的体験を取り巻く環境をみてみると、通塾や習い事によって自由に使える時間は減少している。また、都市化などが要因で自由に遊べる場所も減っている。
All HEROs合同会社代表社員の中山芳一さんはこうした状況を「時間・空間・仲間の三間(さんま)が失われた」と表現し、自発的に生まれる体験が無くなってしまっていることを指摘する。

1976年岡山県生まれ。All HEROs合同会社代表社員、IPU環太平洋大学特命教授。日本の教育者、著作家、学者。主な著書に『チーム学校でできる「非認知能力」の育て方』(2026年、明治図書)、『非認知能力の強化書』(2025年、東京書籍)、『教師のための「非認知能力」の育て方』(2023年、明治図書)など。
「私たちが子どもだった頃、放課後の体験は『家にランドセルを置いて外に出れば誰かしらがいて、日が暮れるまで遊び倒して・・・・・・』というものでした。
しかし、今はお金を払って体験を提供するとか、お金を払わなきゃ体験格差が起きるとか、そういうことが言われる時代になってしまいました。時間・空間・仲間の『三間(さんま)』が失われてしまったのです。
『三間』が無くなった影響で、大人がある程度『手間』をかけなきゃいけないよね、という状況になりました。すると、今度は介入が強くなりすぎちゃって、この『手間』がものすごく増えたんですよ。そこで、私が五つ目の『間』として紹介しているのが『隙間(すきま)』です。
ある程度の手間は必要だけど、子どもたちの放課後には、大人が意図的に『隙間』を作っていかないとダメですと。自分で考えたり、ぶつかったり、悩んだりする時間ですね。隙間がないと、子どもたちは誰かから何かを与えられないと時間を過ごせなくなってしまいます。
自分たちで作り出す、生み出す放課後の時間の過ごし方をしていない今の子どもたちは、かわいそうだなと思っちゃいますね」
かつてはどこにでもあった「三間」の減少――。放課後の体験は大人が「手間」をかけなければいけないものになっている一方で、地縁の減少や過疎化によって、それを担う大人が居ない地域もある。
こうした状況で、体験機会を提供するプレイヤーとして最後に残ってしまうのは保護者である。だが、家庭の側でも余裕があるという状況ではない。共働き世帯は増加しており、保護者が子どもに関われる時間は減っている。物価高騰の中で日々の暮らしを送るだけで精一杯という家庭も多いはずだ。

今回の特集では、子ども・家庭支援団体から支援を受けた方にも取材を行っている。1人で子ども3人を育てている香織さん(仮名)は、ずっと抱えている後悔をこぼすように語った。
高校生1人、中学生2人、計3人の子どもを1人で育てている保護者。
「子どもを習い事に通わせるのが夢だったんです。『習い事に通わせて、送り迎えしてるお母さん』って良いなって。周りにそういうお母さんが多かったので『その輪から外れたくない』というプレッシャーも感じていました。
習い事は、3人の子ども全員をスイミングへ通わせてました。月謝は本当に高かったです。『なんでこんなに高いの』ってずっと思ってましたね。本当にしんどかった。
その月謝を払うために食費を削っていました。『本当にごめん』と今でも思ってますし、罪悪感も未だに感じていますね。
めっちゃ後悔してます。3人とも身長がちっちゃいから」
時間的・金銭的余裕が潤沢にあるわけではないという家庭に対して、さらに「体験をさせねばならない」というプレッシャーがかかってしまっている。本来は子どもの現在と未来を豊かにし、家族にも良い影響を与えるはずの体験が、今、「保護者を苦しめるもの」になってしまっている。
第2章「子どもの体験機会が減少している構造」では、子どもに対して体験機会を届けられなくなってしまった構造に迫る。さらにその結果、負担や責任、あるいはプレッシャーが保護者にのしかかっている実態をみていく。
体験機会の減少がもたらす自立の阻害
人は積み重ねてきた体験を糧にして力や意欲を育み、自立していく。しかし、子どもを取り巻く環境の変化によって体験機会は減少している。これによって、主体性を育む機会や多様な人々と交流する機会などが失われ、経験や能力が得られないことで自立に影響している。
この章では、「非認知能力」と呼ばれる能力を中心に、体験機会の減少による自立への影響を見ていく。

下図の通り、企業や団体の採用面接ではコミュニケーション能力や協調性などの能力を重視している。こうした、本や動画を読んだり見たりするだけでは習得が難しく、しかも客観的な測定も難しいような能力を「非認知能力」という。

では、非認知能力とは一体どのような能力なのであろうか。「三間」について語った中山さんは、非認知能力を「顕在的な能力を支える能力である」と解説する。
「勉強でいう認知能力、スポーツでいう競技力、音楽でいう演奏力。それを顕在的なスキルとして見た時に、そういったものを支えるのが非認知能力なのです。
やる気を出すとか、諦めずに粘り強く続けるとか、仲間と協力するとか。非認知能力はあくまで顕在的な能力を『支えるもの』なんですよ」
学術的な研究が進み、非認知能力が生きていく上で重要な能力であることが分かってきている。それに伴ってメディアでも取り上げられるようになっているが、「収入と相関がある」といった点ばかりが注目され、「今は非認知能力が重要な時代である」という言説を生んでいる。
中山さんは「学問分野の努力で非認知能力の解像度が昨今上がったのは間違いない。しかし、『気合い』や『根性』という言葉で昔から非認知能力のようなものが大事であるとずっと言われてきているし、認知能力(客観的な測定がしやすい力)と非認知能力はどっちも重要であることを忘れてはならない」と警鐘を鳴らす。
テキストや講義で身につけやすい認知能力と違い、試行錯誤をして身につけるしかない非認知能力は自分でやってみて、時には間違い、振り返って身につけるしかない。たとえば、子ども会などの多様な年齢の人と関わる機会があれば良いが、そうした機会は先述したとおり失われつつある。このようにして、その子どもの努力が及ばない環境が要因で、こうした非認知能力を育む機会も減ってしまっている。
今回の特集では、子どもや若者を支援する団体にも取材を行った。そこでは、「関係性を築くのが苦手」「ひきこもりである」といった子どもや若者に対して、意図的に体験機会を提供することによって、間接的に子どもや若者の能力や意欲、さらには経験にアプローチしていた。
たとえば、ある団体は「人間関係のトラブルを起こしてしまう子どもに対して、トラブルが起こった後、スタッフと振り返りを行っている」という事例を挙げた。最終的に子ども・若者の自立を目指しているそれらの団体の事例からは、逆説的に「人はどのような体験をすることで自立をするのか」ということも見えてきた。
子どもがどんな体験を失っており、それがどのように成長へ影響しているか。第3章「体験機会の減少が子どもの自立・社会に影響を与える構造」では、体験を失うことで起きることや、失った体験を補填しようとする支援団体の実情を示す。
体験格差の問題に注目が集まったきっかけの一つはコロナ禍であった。
あの時、様々な体験が次々に失われた。子どもだけではない。オフィスで何気なくする雑談や懇親会で交友を深める機会など、我々大人自身も多くの体験を喪失し、その大切さを噛みしめたはずだ。
コロナ禍が収束するにつれ、子どもも大人も体験を取り戻していった。だが、子どもの体験を支えていた組織や仕組みの中にはコロナ禍で停止したまま、復活できていないものもある。安価な体験が無くなることで、体験機会にアクセスできるか否かという差はより大きくなっている。一方、サービスとしての子どもの体験機会は増えている。
コロナ禍のときはその量が問題であった子どもの体験が、いまになってはアクセスできるかどうかという「差」の問題に転じてしまった。こうした背景の中で体験格差の問題はより注目を集めるようになった。
子どもの健全な成長にとって体験は大切である。2010年代初頭からその大切さを確信し、発信してきたリディラバにとって、体験格差に注目が集まっているこの状況は体験の問題を解決するきっかけになり得ると考えている。
しかし、その議論は「海外旅行に行けるか否か」「リッチな体験をできていない子どもが居る」など消費的な体験の有無に終始しがちである。結果として、体験格差という問題に注目が集まれば集まるほど体験のサービスとしての価値が上がってしまう状況を生み出し、体験格差という言葉自身が体験の格差を大きくしているという構造ができてしまっている。
本当に必要な体験が本当に必要としている子どもに届くようになるために――。この特集では体験の価値や体験格差の問題について再定義を試みる。
各記事の紹介
【1章 子どもの体験が成長や自立に必要となる背景】
<1回 成長からひもとく体験の重要性。「人やものとの関わりから学ぶ」メカニズムとは―>

豊かな体験が子どもの成長にとって大切であることは古くから指摘されてきた。一方で「体験が具体的に、どのように成長に寄与するか」というメカニズムは最近わかってきたことも多い。
体験とは、インプットとアウトプットを重ねることによって、人やものとの関わりから学びを得るプロセスである。このプロセスを繰り返すことで、子どもたちは知識や知性、感性を育んでいく。
研究者の知見や現場の様子などを手がかりに、体験が成長に寄与する理由やそのメカニズムを明らかにする。
<2回 体験が育む「自立するための力」――自分の人生を自分で切り開くために必要なものとは>

人が自立して生きるためには、自らの意思に従って判断し、主体的に行動するための力が必要となる。例としてコミュニケーション能力や協調性があり、企業や大学において、採用や面接をともなった入試でも重視される。
これらの力は、本を読んだり動画を見たりするだけでは身につかず、試行錯誤や他者との関わり合いといった体験を通して獲得される。
自立するためにはどんな力が必要なのか。それはどんな体験を通して育まれるのか。自立と能力、さらに体験との関係性について明らかにする。
【2章 子どもの体験機会が減少している構造】
<第3回 子どもの体験を支える土台の崩壊――学校・地域・行政が抱える“余裕のなさ”とは>

かつて、子どもの体験は保護者だけでなく、近所の大人や子ども会など、地域社会の多様な関わりの中で育まれていた。しかし、現代では共働き世帯の増加や働く高齢者の増加によって地域に関わる大人が減少し、結果として地域に居る子どもに関わる大人も減っている。
行政が担う青少年教育施設も老朽化や少子化などを理由に半減。学校も、教員の働き方改革を背景に、宿泊行事の簡素化や部活動の縮小が行われている。
体験格差とは、家庭の経済力や保護者の意識の差だけで生じる問題ではない。社会全体で子どもを育むインフラの機能が低下し、体験提供の負担が保護者へと集中する構造的な問題を保護者以外のプレイヤーが抱える問題から考える。
<4回 時間とお金の余裕を失った保護者の苦悩――かかる重圧、「親なんだから」という呪い>

地域や行政に余裕がなくなった結果、子どもの体験機会を提供する負担は保護者へと集中している。
しかし、核家族化や共働き世帯の増加にともなって、保護者が子どもに割くことのできる時間的・人的リソースは減少し続けている 。 さらに、物価高騰などで実質的な収入が伸び悩む中、教育や体験にかかる費用負担は増加している 。
「体験をさせねばならない」というプレッシャーは保護者をさらに追い詰める。体験格差とは、決して保護者の努力不足によって起こる問題ではない。体験提供が「親の責任」として各家庭に押し付けられ、保護者が追い込まれる構造を浮き彫りにする 。
<5回 余裕の無さが生む欠如の連鎖――困難な状況にある家庭で体験機会がさらに減る構造>

経済的な困難に直面している家庭では、長時間労働などによって、時間的・精神的な余裕も奪われる。特にひとり親家庭ではこの傾向が顕著であり、社会的な偏見や孤立も相まって困難がより連鎖しやすい状況に置かれている。
こうした「余裕の無さの連鎖」に陥った家庭は、安価で無対価な体験機会が減少したことで、「高価な体験を他のものを犠牲にして提供するか・体験提供を諦めるか」という二択を迫られる。
時間・金銭・精神的な余裕の枯渇が連鎖し、困難な状況にある家庭ほど子どもに体験機会を提供できなくなる実態を明らかにする。
<6回 子ども・若者を支援する団体が見た経験喪失の現実――体験で喪失を埋めようとする実態とは>

人が自立するためには、失敗から学ぶなどの多様な経験が不可欠である。しかし、子どもを取り巻く環境の変化によって体験機会が減少すると、こうした社会生活を営む上で必要となる経験も欠けてしまいがちで、生きづらさを抱えることにもつながってしまう。
こうした状況に対し、子どもや若者を支援する団体では、まるで失われた経験を埋めるかのように様々な体験が提供されている。
体験格差とは、自立する力を養う成長の機会に生じている格差である 。子どもを取り巻く環境が要因で、自立に必要な体験にアクセスできるか、できないかという格差が生じている問題の本質を現場の声などを元に考える。
<7回 体験は“買う”時代――親と学校に子育てを丸投げした社会が行き着く格差の固定化と少子化>

体験格差を生じさせる、体験をはじめとした子育ての負担や責任が保護者へと集中する構造は、子育て自体を忌避する心理につながり、少子化の要因ともなっている。さらに、子どもの体験が家庭環境に依存する状況は、格差の固定化も招いている。
家庭の経済的余裕に体験機会の大小が直結してしまう構造的な問題が、格差の固定化や少子化という形で、社会全体にどのような影響を与えているのかを明らかにする。
※以下の箇所について修正しました。
・2026年7月9日
修正前:「2025年、公益財団法人ミダス財団と株式会社Ridiloverは日本国内における子どもの体験格差の解消を目指すコンソーシアムの立ち上げおよび調査研究に向け、協働プロジェクトを立ち上げた。その調査の過程で子どもの体験を大人の介入の有無によって分類することを試みた。この分類に従えば、子どもの体験は大人が介入することを前提とした「支援的体験」と、子どもたちから自発的にうまれる体験である「非支援的体験」に分けることができる。どちらの体験も同じくらい大切なものであるが、双方とも減少しているのが現状である。」
修正後:「子どもの体験は大人が介入することを前提とした「支援的体験」と、子どもたちから自発的にうまれる体験である「非支援的体験」に分けることができる。どちらの体験も同じくらい大切なものであるが、双方とも減少しているのが現状である。」
脚注
※1:UN Committee on the Rights of the Child. General comment No. 17 (2013) on the right of the child to rest, leisure, play, recreational activities, cultural life and the arts (art. 31) (CRC/C/GC/17).
引用資料・参考文献
・国立青少年教育振興機構「子どもの成長を支える20の体験」(2026年6月16日閲覧)
・外務省「『児童の権利に関する条約』全文」(2026年6月16日閲覧)
・こども家庭庁「ライフデザインのための情報ポータルサイト モヤピカ!」の「共働き世帯数の増加」(2026年6月16日閲覧)
・株式会社学情「企業・団体の人事担当者を対象に、『面接』についてアンケートを実施しました。」(2026年6月16日閲覧)
・中山芳一『学力テストで測れない非認知能力が子どもを伸ばす』東京書籍,2018年.
