

株式会社こうゆう 花まる学習会代表の高濱正伸さん、 NPO法人AlonAlon理事長の那部智史さん、株式会社ビズリーチ代表取締役の多田洋祐さんは各分野で活躍する経営者であり、それぞれ障害がある子どもがいる。
今回はそんなお三方に、障害がある子を持ったことで何を感じたのか、障害を持つ子が社会で生きていくためには何が必要なのかについて語ってもらった。
※本記事は、リディラバが主催する社会課題カンファレンス「リディフェス」のセッション「障害を持つ子の親になって感じること、考えること」を記事にした前編です。
(写真左から 高濱正伸さん 那部智史さん 多田洋祐さん)
障害児の親になって感じた「幸せ」
高濱正伸 まず、私のことからお話いたしますと、21歳の息子がいて、知的と肢体の重複障害があります。重度で、いまもほぼ話すことができないですし、座ることもできません。ふだんは、生活介護に通いながら暮らしています。
でも、僕も妻も「こんなに幸せでいいのかな」と思うくらい、息子が産まれてからは幸せに生きています。
多田洋祐 僕は昨年の12月末に2人目の娘が産まれて、その子がダウン症でした。上には娘がいて、その子は健常児です。
上の子が生まれる前、出生前診断(赤ちゃんに先天的な病気や異常があるかを調べる検査)をするかどうか、夫婦で話したことがあったんです。でも、妻も僕も「もしお腹の子に障害があったとしても、産むよね」という感じだったので、とくに検査もしませんでした。
娘が産まれてすぐに「呼吸がおかしい」と連れて行かれて、2時間後に先生だけ戻ってきたんですね。そのときに「ダウン症の疑いが極めて高い」と言われました。実際に娘がダウン症かもしれないと知らされ、それから一週間くらいは、自分のなかで激しい感情の起伏がありました。
「上の子に迷惑がかかるんじゃないか」「自分が先に死んだらどうしよう」「経済的自立ができないかもしれない」とか……ネットをみながら不安になっていました。
ダウン症の確定診断が出るまでには三週間ほどあったのですが、それまでの間は不安な気持ちがあった反面、もしかしたらそう(ダウン症)じゃないかもという気持ちも持っていました。
でもある日、ICUの保育器のなかで管から懸命にミルクを飲んでいる娘の姿を見たときに「この子はすでに産まれてきて一生懸命生きているのに、自分のこの気持ちはなんなんだろう」と思い、ひどく恥ずかしくなったんです。
結局は、自分の子どもに「こうあってほしい」という期待をしていただけで、その期待と違う育ち方になるという事実を受け入れてなかったのだと気づきました。

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