2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の大地震、東日本大震災。
あれから7年が経ち、2018年1月に発行された復興庁のパンフレット「東日本大震災からの復興の状況と取組」には、今後の課題として、観光の振興や水産加工業の再生、商店街の再生、人材の確保などが挙げられている。
被災地では、災害発生直後だけではなく、復興段階においても多くの人々が関わる必要があることが分かる。
我々編集部は、そうした復興段階における人々の地域への関与は、震災直後の「ボランティア」という関わり方からシームレスにつながっていることに着目。
そして、「東日本大震災における災害ボランティア」を取り上げることにした。
被災地で作業をするボランティアたち(ピースボート災害ボランティアセンター提供)。
復興段階にも多くの人が関わる必要があることを想定した上で、我々一般市民や一組織がどのように被災地と関わっていくのか。多くの人が地域に関われる環境をつくっていくためにはどうしたらよいのか。こうした点にフォーカスして、取材を行った。
震災直後どう動けばよかったのか
編集長の安部をはじめ、リディラバジャーナルの運営団体リディラバも東日本大震災の際には、日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)という医療専門職で構成された災害医療支援チームとともに宮城県石巻市の復興支援に携わった。
当時、大学院の修士2年生だった安部も、何か自分にできることはないかと思い情報を追っていたが、そこで耳にしたのは、震災発生直後に被災地に入ったボランティアたちへの批判だった。
特に震災直後には、専門性やボランティア経験のない人が現地に行ったところで邪魔になるだけだ、といった批判があった。
被災地に負担をかけるべきではないので自らの食料や水などを調達してから行くべきだ、という真っ当な指摘もあれば、現地に行くことをむやみに非難する声もあった。
一方で、被災地に足を運び、支援を行った人々は現地では人手が十分に足りていなかったと指摘する。
現地のニーズなどの情報も錯綜しているなかでどうすればよかったのか――。
編集部は、復興段階を踏まえた上でのボランティアの初動に対する振り返りがなされてこなかったことに問題意識を持った。
もっと多くの人を巻き込めたのではないか
東日本大震災の発生から約2ヶ月の間に被災地に入ったボランティアの数は累計25万人ほど。
この数を多いととるか少ないととるかは人によるかと思うが、「ボランティア元年」と呼ばれた阪神・淡路大震災では同じく2ヶ月の間に累計100万人ほどなので、比較すると約4分の1の数である(下図参照)。
「東日本大震災と阪神淡路大震災 ボランティア延べ活動人数の比較」(出典:「防災コラム グラフで見る東日本大震災(ボランティア編)」レスキューナウウェブサイト)
東日本大震災では、死者1万9630人、行方不明者2569人、負傷者6230人、合計2万8000人を超える人が直接的に被害にあった。(2018年3月1日、総務省消防庁)
阪神・淡路大震災も東日本大震災も、ともに災害の規模としては非常に大きなものだが、ボランティア数には大きな差がある。
ボランティア数の差がひらいた要因としては、被災地への交通アクセスの問題や災害の特性などの違いが挙げられる。
だが、そうした要因を考慮してもなお、もっと多くのボランティアを巻き込むためにできたことがあったはずである。
被災地とボランティアの関係
本特集では、震災発生直後から復興段階における「被災地に関わるボランティアの数」と「被災地とボランティアの関係性」に着目し、それらを「AARRRモデル」という、Webサービスでよく見られる“会員を集め収益化を目指す戦略モデル”に基づいて整理していく。
「AARRRモデル」は、ビジネスにおけるユーザー(顧客)の行動変化を示したもので、具体的には以下の5つに分かれる。
①Acquisition「ユーザー獲得」
②Activation「利用開始」
③Retention「継続」
④Referral「紹介」
⑤Revenue「収益の発生」
これをボランティアに喩えて……
①Acquisition「ボランティアの巻き込み」
②Activation「ボランティア活動の開始」
③Retention「ボランティアの継続」
④Referral「新たに人を呼び込むための情報発信・口コミ」
⑤Revenue「地域との長期的な関与」
と整理する。
被災地支援を行うボランティアの数と関わり方を表した図。
各フェーズにおいて、より多くの人を巻き込んでいくためには、それぞれどのようなことが必要だったのか。全6回にわたって考えていく。
第一回【東日本大震災、被災地に行くのは迷惑だった? 】では、被災地に行くことに対する批判に対して、現地ではどういったニーズがあったのか、ボランティアが初動で動くことにどんな意味があったのかを振り返る。
被災地の様子(ピースボート災害ボランティアセンター提供)。
第二回は【災害ボランティア、初動で動ける組織の特長とは】。
震災が発生した時にすぐに支援のために動くことができる組織の特長とは何だったのか。意識高い系と言われるような学生団体や宗教団体の活躍に迫る。
東日本大震災の被災地支援に関わったボランティアたち(SET三井俊介さん提供)。
第三回は、【ボランティアなんて必要とされていないと思え】。
「何かしたい」と熱い思いを持ったボランティアの描くイメージと、実際に被災地で求められていることのギャップにどう向き合うのか。ボランティアに求められる心構えを振り返る。
東日本大震災の被災地支援に関わったボランティアたち(ピースボート災害ボランティアセンター提供)。
第四回【ボランティアの“満足度”が復興スピードを左右する】では、ボランティアを継続していく上で重要なことを考えていく。長期的に地域に関わるボランティアを増やすためにはどんなことが必要なのか。
認定NPO法人カタリバ代表・今村久美さん(写真右)と編集長安部。
第五回は、【いま振り返る3.11、「情報発信」すればいいわけじゃない】。
被災地の状況を知ってもらうためにも、ボランティアや寄付、支援を集めるためにも重要な情報発信。だが、被災地で子どもへの支援を行う認定NPO法人カタリバ(東京都)代表の今村久美さんは、情報発信を行う上でもジレンマがあったと語る。
第六回【対症療法的な被災地支援だけではダメ、東日本大震災の教訓】では、被災地にボランティアとして関わった人々が復興段階のおいて地域にもたらすベネフィットについて考える。
被災地に移住したSETのメンバーと地元の人々(SET三井俊介さん提供)。
読者の皆さんの中には、ボランティアに参加した人や何かしたいと思いつつも何もできなかった人、あるいは初めて東日本大震災に向き合う人もいるかもしれない。
本特集が、東日本大震災のボランティアの初動を振り返る、あるいは来るべき災害に備えて自身の被災地への関わり方を考える機会になれば幸いだ。
(2018年4月3日10:29 第四回記事タイトル「ボランティアの“満足度”が復興スピード左右する」を「ボランティアの“満足度”が復興スピードを左右する」に訂正)