2019年2月25日、東京都渋谷区の児童養護施設の施設長が同施設出身の男性(当時22歳)に刺殺される事件が起きた。
朝日新聞の報道によると、施設を退所した男性は「ネットカフェを転々としていた」と供述している。
男性は施設が紹介し保証人になったアパートで生活していたが、家賃滞納などをめぐり大家とトラブルに。施設職員がアパートを訪れ、相談にのるなどするものの、その後アパートを退去していたという。
一方で、亡くなった元施設長の大森信也さんはこうした施設退所者がぶつかる困難について、著書『施設で育った子どもの自立支援』の中でこう書き残している。
18歳(措置延長で最長20歳まで)以降、社会的養護の枠から外れ、自立していかなければならない現実。それは、私たちが想像する以上に困難なものであると、改めて認識しなおす必要があるでしょう。
先の事件は殺人事件として大きく報じられたが、事件にならずとも施設退所者は、社会に出てから困難に直面することが多い。
自立のプレッシャーの中で…施設退所者の事情
今回取り上げるテーマは「児童養護施設退所者の自立」。
現在、児童養護施設に暮らす子どもは約2万5000人(2018年3月末時点)。入所理由としては、親からの虐待がもっとも多い。施設の子どもの約6割は、虐待を受けた経験があるとされる。
しかし彼・彼女らは、児童福祉法のもと18歳になると「自立」を求められる。
制度上は20歳まで措置延長が認められ、2017年からは22歳まで施設で生活できることになったが、実際には18歳を過ぎた子どもは自立を迫られることが多いという。
施設などの受け皿は限られている中で、次々と幼少の子どもが保護されるため、年齢が高い子どもは退所せざるを得ないのだ。
そして退所後は、親がいることを前提とした社会の中でつまづくことがある。
過去の虐待の影響から、精神疾患を患ったり、自己肯定感が低かったり、人を信用できなかったりすることもある。
「生活費を稼ぐのが大変」「気軽に頼れる人がいない」「仕事と住まいを失って寝る場所がない」――。
支援者のもとには、そんな声が寄せられるという。
児童養護施設退所者のサポート事業を行う一般社団法人Masterpieceが主催となり、児童養護施設や里親家庭で育った若者たちの声を集めた冊子。
元児童養護施設職員で、現在は施設退所者向けのシェアハウスを運営する一般社団法人Masterpiece代表の菊池真梨香さんはこう話す。
「就職する人も進学する人も、住居の問題にぶつかる人は多いです。親を保証人とすることができず家を探すのが大変だったり、寮付きの職場で働いていたけど、人間関係がうまくいかなくなるなどして、仕事も住まいも同時に失ってしまったり。そういう時に親を頼ることができれば、一時的に実家に戻るという選択肢がありますよね。でも、施設の子どもたちは親を頼れないことも多いんです。そのために、ひどい職場環境でも我慢して働き続けることもあります」
菊池さんは、「そうした子どもたちの準備段階の場所が必要」と施設退所者らの支援をはじめた。
では、どのような支援が必要とされているのか。本特集では、施設退所者が困難に直面する構造から、必要とされていることを探っていく。
社会全体で孤立の連鎖を防ぐ
施設退所後の大きな問題は「孤立」だと言われる。そして孤立は、次の世代にも連鎖しうる。その連鎖を断ち切ることは社会の課題だ。
だが、施設の子どもの自立支援を行う認定NPO法人ブリッジフォースマイルが児童養護施設を対象に行った調査(2018年)によれば、自立支援や退所後支援の難しさについて、施設職員の90パーセント以上が「支援を行う職員の数、時間を確保することが困難」と回答している。
施設退所後のアフターケアにまで十分に手が行き届いていないのが現状だ。
前出の菊池さんは児童養護施設で働いていた当時をこう振り返る。
「施設で働きはじめて3年目ぐらいの頃から、自分が『頑張ってね』と送り出した子どもたちが大変な状況になっているという報告を聞くようになりました。住まいを失ったり、意図せずに妊娠をしたり……。退所後も絶対にサポートが必要だと思っていたのですが、そんなに気軽に会いに行けるわけではないし、いま施設にいる子どもたちで精一杯なところもあって。すごくもどかしい思いを抱えていました」
いまは児童養護施設退所者向けのシェアハウスの運営などを行う菊池さん。
虐待による幼い子どもの死亡事件がメディアで大きく取り上げられたことによって、児童虐待に対する認知が高まっていることなどから、児童相談所の虐待相談対応件数は過去最多の約16万件にのぼる(2018年度速報値)。
だが、虐待相談対応件数の増加は広く知られる一方で、保護された子どもの「その後」について語られることは多くない。そこで本特集では、12回にわたる記事でその実情に迫る。
第1章 児童養護施設の入所背景
第1回【子育てに対する自己責任論からの脱却を】では、児童養護施設に入所する子どもの背景にある「家庭での虐待」について解説。なぜみずからの子どもを虐待してしまうのか、どういった支援が求められているのか。
第2章 児童養護施設にたどり着くまで
第2回【虐待通告の増加に奔走する児童相談所のいま】では、家庭で暮らせない子どもを保護する児相の実情と今後の課題を明らかにする。
第3回【児童相談所職員が語る、常に板挟みの過酷な現場】では、虐待対応の現場について、都内の児相職員のインタビューをお届けする。
第4回【児童相談所職員からみた子どもの自立支援】では、第3回につづき、児相職員からみた家庭の状況や、子どもの自立支援のために必要なことを聞いた。
第5回【家庭訪問に里親支援…多機能化する乳児院】では、主に0歳から2歳の乳幼児が暮らす東京都「二葉乳児院」の実戦から、乳児院の役割や里親について考える。
第3章 児童養護施設の内実
第6回【児童養護施設の「ハズレ」をなくす】では、一般家庭と児童養護施設の格差、児童養護施設間の格差について浮き彫りにする。何らかの事情で家庭で暮らすことができない子どもに必要とされている場とは――。
第7回【児童福祉の対象になるのはいつまで?“措置解除”を考える】では、高校を中退するなど、本来、自立に向けたサポートを必要とする子どもが社会に放り出されてしまっている実情について問い直す。
第4章 児童養護施設からの巣立ち
第8回【「施設での生活がすべてだった」施設退所者が語る孤独感】では、16年間児童養護施設で暮らした当事者に、施設退所時の心境や、施設退所者向けに行っている振袖写真プレゼントの取り組みについて聞いた。
第9回【アフターケアの相談現場から見る施設退所者の苦悩】では、大人になってからも虐待などの影響を受ける苦しみ、彼・彼女らに必要とされている支援について探る。
第5章 児童養護施設の外で
第10回【社会的養護からこぼれ落ちてしまう子どもたち】では、親からの虐待を受けて育ち、みずから警察を訪れて一時保護所に入った女性の話から、保護のあり方について考える。
第11回【生きる意欲を育む家】では、何らかの理由で家庭にいられなくなり、働かざるを得なくなった15歳から22歳までの子どもが働きながら自活をめざす「自立援助ホーム」を紹介。
第6章 安部コラム
第12回【リディラバ安部が考える社会的養護の課題】では、リディラバジャーナル編集長である安部敏樹が児童養護施設退所者を取り巻く現状や問題点について語る。
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児童相談所に保護された子どもは、家庭に戻れない場合、「社会的養護」のもとで育つ。
「社会的養護」とは、親がいない、あるいは親の病気や虐待など、親がいても子育てをするのは適当ではないと判断された場合に、公的責任のもと子どもを養育すること。児童養護施設もそのひとつの形態だ。
社会的養護の理念には、「子どもの最善の利益のために」「社会全体で子どもを育む」ことが掲げられている。
児童虐待が大きな社会問題として認知されるようになったいまこそ、社会的養護の理念をいかに実現していくのか、皆さんも考えてみてほしい。