明らかになる“体験”の価値。安部「子どもの体験格差」を語る!(vol.81後編)
明らかになる“体験”の価値。安部「子どもの体験格差」を語る!(vol.81後編)
毎週水曜日、X(旧Twitter)スペースでお届けしている「#あべラジオ」。
今回のテーマは「東京都知事選の振り返りと子どもの体験格差」。
後半は、リディラバが運営事務局を務める「子どもの体験格差解消プロジェクト」について。「体験ってどう定義される?」「子どもの頃の体験の有無、体験の質や量が将来に影響を及ぼす?」など、安部さんに問題の現状や背景にある要因を聞きました。
聴き手はリディラバジャーナル編集部の東です。
(都知事選の結果を振り返った前半はこちら)
※本記事は2024年7月10日12時に放送された「#あべラジオvol.81」を編集してお届けしており、同時点の情報に基づいています。全編を聞きたい方はこちらから↓
体験はどう定義される?
東今日は取り上げたいテーマがもう一つありまして、冒頭でお話ししたとおり「子どもの体験格差」になります。
いまリディラバが事務局を務めている「子どもの体験格差解消プロジェクト」ではクラファンをやっていたりするんですが、今回は「体験格差って何が問題なのか?」「なぜ格差が生じやすくなっているの?」っていう前提の話とか、全体像の話をしていきたいなと思っています。
まずはプロジェクトでもお伝えしてる「いまは当たり前の体験を得ることが困難な社会になってきている」という社会側の変化から聞きたいのですが、どうでしょうか?
安部まず「当たり前の体験ってなんだろうか」っていう点が大事で。
人間ってさ、生きてれば何か体験してるわけよ。日々いろんな情報が目から耳から口から入ってくるわけじゃない?
その情報は広義に“体験”と定義できるわけだけど、じゃあ自分で「いま息を吸ってるぜ」「体験してるぜ」って思う人はあんまりいないわけで。
東そうですね。
安部だから概念として定義しようとすると、体験をパッケージとして切り出す必要がある。
で、あまりにも日常の延長線上にあるものを切り出してしまうと、なかなかそれを体験だと思えなくなっちゃうから、自分の日常と差分のある活動を“体験”として切り出しましょうと。
そして、それが自分だけじゃなくて周りにもそう認識されていることで初めて、体験は概念的に定義される。
東なるほど。
安部だからさ、体験には日常との違いを感じるための設計が必要になってくるのね。
たとえば旅行って分かりやすいよね。電車に乗って物理的にも異なる場所に行って、日常から切り離された状態としてパッケージ化されてるじゃない?
東はい。
安部あるいは、平日は学校に行ってるけど、土日はソフトボールチームで運動してるとか。これも日常と差分がある体験だったりするわけで。
でさ、こういうふうに定義できるパッケージングされた“体験”ってものは、実は教育的な価値が大きいってことが最近わかってきたんだよね。
東それはいろんな研究で分かってきたってことですよね。
安部そうそう。でも体験の価値って、我々が昔からちょっと感じてたことではあるよね。
たとえば夏休みの旅行とか、修学旅行とか、臨海学校とかって、大人になってもよく覚えてたりするじゃない?
東うんうん、覚えてますね。
安部実はそれが単なる思い出ではなくて、教育的な価値のある体験だったと。
で、子どもの頃の体験の有無は、最終的に本人の所得とかキャリアとかの“出口”に影響をおよぼすことがわかってきたわけ。
東なるほど。
「受験に対するフェアネスがないのでは?」
体験の格差が人生に与える影響
安部それで、その出口の手前には受験とかがあるわけだよね。

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