
更新日: 2023/3/27(月)
当事者を「憐れむ」社会が生んだ事件――優生思想と向き合う(後編)
更新日: 2023/3/27(月)


更新日: 2023/3/27(月)
当事者を「憐れむ」社会が生んだ事件――優生思想と向き合う(後編)
更新日: 2023/3/27(月)
なくならない差別や偏見——その根底にあるのは、命を「役に立つか」「生産性があるか」という基準で選別し、社会から排除しようとする優生思想があると言われている。
今回、これまで3,000人以上のホームレスの人々の自立支援を行ってきたNPO法人抱樸 理事長の奥田 知志さんと、リディラバ代表の安部が「優生思想と向き合う」をテーマに対談。
前編では、優生思想とはなにか、そして優生思想を乗り越えるために必要な「生産性」の再定義について語った。
後編では、2016年に社会を揺るがした「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人、植松被告との対話を起点に、社会に蔓延する「恨み」への解決策を探っていく。
※本記事の取材は「リディ部〜社会問題を考えるみんなの部活動〜」で行われた「優生思想と向き合う〜誰もおいていかない社会とは〜」で行われました。
奥田 知志さん(NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師)
1963年生まれ。関西学院神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。
九州大学大学院博士課程後期単位取得。1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から大阪釜ヶ崎で始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3640人(2021年3月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。
安部敏樹(株式会社Ridilover代表取締役/一般社団法人リディラバ代表理事)
1987年生まれ。2009年、東京大学在学中に社会問題をツアーにして発信・共有するプラットフォーム「リディラバ」を設立。2012年度より東京大学教養学部にて、1・2年生向けに社会起業の授業を教える。特技はマグロを素手で取ること。
これまで350種類以上の社会問題をテーマにツアーを企画した実績があり、10,000人以上を社会問題の現場に送り込む。また近年では、中学・高校の修学旅行・研修や企業の人材育成研修などにもスタディツアーを提供している。
「君は役に立つ人間だったのか」
障害者施設を襲った犯人の答え
安部 奥田さんは、知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった大量殺傷事件の犯人、植松被告と接見したと伺いました。
実際に対話もされた上で、奥田さんはこの事件をどのように振り返りますか?
奥田 やまゆり園の事件は、役に立たない人は排除してよい、という優生思想の最たるものだったと思っています。
2018年、死刑判決が確定する前に一度、植松被告と面会しました。
イメージよりもずっと礼儀正しい青年でしたが、「重度の障害者は意味のない命だ。意味のない命を多額の税金を使って生かすのはみんなの迷惑」と明言していました。裁判の中でも「公益のためにやった」と繰り返し発言しています。
安部 優生思想を語る植松さんに対して、奥田さんはどんな言葉をかけたんですか。
奥田 「役に立たない奴は死ねと言いたいのか」と聞くと、「そうだ」と彼が答えたので、私は「じゃあ君は、事件を起こす前、役に立つ人間だったのか」と尋ねたんです。
すると彼は少し考えてから、「あまり役に立つ人間ではなかった」と答えました。
安部 彼も排除される側の人間だったわけですね。
奥田 実は私も、聞く前から彼がそう答えるんじゃないかと思っていました。
みんな「彼が」あの事件で役に立つ命とそうでない命を分断したと思っているかもしれませんが、それは違います。
彼が事件を起こすよりもずっと前から、この世界には「役に立つ人」「迷惑をかけている人」という分断がありました。
彼自身、生活保護を受給したり、職場から解雇されたり、精神病棟へ入院したりと、世の中から「お前は役に立たない」と言われてきた。
彼の中にはずっと恨みのようなものがあって、役立つ側になりたい、他者を抑圧する側になりたい、という気持ちが事件を引き起こしたんだと思います。
安部 彼自身の被害者性が逆転して、加害者側に立ってしまったと。
奥田 彼を擁護したいとか、事件はしょうがなかったと言いたいわけではないんです。彼の選択は絶対に間違いですから。
ただ、本来はそういう恨みを持たなくていい社会を目指すべきなんです。
(抱樸 奥田知志さん)
正当なプロセスを信じられない社会
変革は幻想なのか
安部 植松被告が抱えていた恨みって、例えば明治維新を起こした下級武士たちとか、革命に加担してきた人たちの恨みと共通する部分があったと思うんです。当時の封建社会において、しわ寄せを受けていた下級武士たちが過激な行動に出たのと、今の社会において、排除される側とされていた植松被告が過激な行動に出たのと、ある種の類似性を感じるのですが。
奥田 なんとなくわかります。恨みが社会に対する暴力性・破壊性になってしまうということですよね。
安部 植松被告は、幕末の志士たちのように社会のシステムチェンジを目指していたんでしょうか?
奥田 いや、彼はただ既存の価値観を踏襲しただけですよ。今の社会のまま、排除される側から排除する側に移動しようとしただけです。
本当の意味で社会を変えるなら、こんな事件を起こすのではなく「俺はいま十分幸せで、このままでやっていけるんだ」という形で既存の価値観とは異なる視点を示すことだった。
安部 僕も彼の行為は単なるテロリズムだったと思います。
ただ難しいなと思うのは、じゃあ彼はどうやったら、自分も救われると信じれたかなって。
今、理論上は民主主義のプロセスを通して、自分たちの困難や不満を解消できるとなっていますよね。
政権与党に声を届けて、与党が動かなければ選挙で与党を変えて、というふうに。
でもそれは実際のところ理論上でしかなくて。
植松被告を含め多くの人が、本当の本当のところで、私たち民主主義によって救われてないじゃん、と気づいている。
奥田 そうですね。結局私たちの状況は変わっていないじゃないかと。
安部 既存のシステムで私は救われない、社会は変わらない。「だったら法律とか政治を通すのはやめて、既存のルールの外側から何かを変えよう」って革命的な動きを、一概に否定できるのかなと思うんです。
奥田 この時代において何を革命と呼ぶかという話で、例えばかつて資本主義に対して共産主義が出てきた、これはものすごい革命だったと思います。
そういった大きな転換とか、全く新しいものが社会に生まれるという意味での革命は、この先そう起こらないと思っています。
安部 僕も、特に日本のような国では革命的な動きって起こりにくいと思います。
というのは、革命って何か共通した大義とか目的に人が集まるわけですが、多くの人を巻き込める共通した痛みって「貧しさ」だと思うんです。
日本のように、国民の一定数が経済的に豊かになった状態では「みんな、これで飯食えるようになるぞ」と言っても人がそんなに集まらない。
他者と痛みを共有できないから、孤軍奮闘でテロリズム的な方向に落ちていきやすいと思うんです。
(リディラバ 安部敏樹)
奥田 ただ、革命が起きないから社会は変わらないことはなくて。むしろ、社会を変えるために必要な「材料」って既に揃っていると思うんですよ。
例えば植松被告。彼がもし適切な支援を受けていたり、適切な人と出会えていたら、考えが変わって、事件を起こさなかったかもしれない。
安部 彼を変える「材料」は、今の世の中に存在していたけれども、彼には届かなかったと。
奥田 だから、大きな変革・革命というより、今すでに社会にある「材料」の入れ替えとか、出会い直しが必要なんだと思っています。
安部 なるほど。「大きな変革ではなくて、小さな出会い直しや入れ替えが大事」って話、すごくわかります。実際僕も、出会い直しを生みたくて、スタディツアーの事業もやっているし。
一方でジレンマもあるんです。これってかっこよく言いながら、結局のところ現状維持に加担してないか?劇的に辛い状況にいる人たちを救えるのか?って。
奥田 わかります。すごくわかるんですけど。
例えばアルコール依存症の治療で「どん底にまでいかないと、直そうと思わない」っていう論があるんです。
安部 いわゆる「底打ち体験」ですね。
奥田 ええ。底までいって、本人が本当に反省してはじめて、治療がはじまるって論です。ただ、現場で当事者と接していると、その論がほぼ成り立たないなとわかるんです。
安部 どうしてですか。
奥田 ホームレスの男性が言うんですよ。
「俺、最初会社辞めたときに、もうこれは底やと思ったんやけど、その後さらに落ちてホームレスになった。これでもう底だと思ったら次はホームレスやりながら泥棒してる」って。
安部 底までいって大きな変化が生まれるって言うけど、実際に現場を見ていると底なんてものは存在しないと。
奥田 日本全体に対しても、同じ論を語る人がいます。
日本が底打ちになって、どうしようもなくなってはじめて、大きな変化が生まれるんだっていう。
安部 学者や知識人からも聞かれますね。
奥田 そうなんです。言っていることはわかるし、それくらい今の社会に絶望してしまう気持ちもわかる。
それでも私は、大きな変革とか、底打ちして革命ってことでうまくいくとは思えなくて、小さな変革、目の前の人を変えていくことの積み重ねが大事だと思っています。
言葉を変えると、変革っていうのは、大きなところ、強いところから生まれるのでは無くて、端っこから、弱いところ生まれると思っています。
「この子らを世の光に」
課題の当事者によって社会は進歩する
安部 今の社会で端に追いやられている、弱いと思われている人たちこそ、社会を変えていく力があると。
奥田 そうです。「障害児の父」と呼ばれる糸賀一雄さんという方がいます。
彼が遺した有名な言葉で「この子ら(障害児)を世の光に」というのがあります。
普通、障害児には世の中の光を当ててあげましょう、って言われますよね。
安部 この子たちはかわいそうで、社会が助けてあげる存在だからと。
奥田 「この子らを世の光に」に込められた意味はその逆です。
今の社会から排除されようとしている人たちにしか見えないものがある。この子たちを社会の中心に据えることで社会が発達するんだ、この子たちこそが世を照らす光なんだ、というメッセージです。
安部 まさに同感です。リディラバが大事にするコンセプトのひとつに、「誰かの困りごとを、次の時代の手がかりに」という言葉があります。
今、社会で誰かが何かに困っている、辛い思いをしているっていうのは、言い換えるとその困難を起点に社会が一歩前進するチャンスなわけですよね。
本当は社会側に困難を解決する責任があるのに、今は個人側に困難を「あなたの自己責任だよ」と押し付けている。
奥田 異質と見えるもの・役に立たないと見えるものを社会から取り除いて、安全な社会をつくったつもりかもしれません。ただ、私から見るとそれは最も危険な社会です。
何かのきっかけで「役に立たない」側にまわったら排除されてしまうと知りながら、みんなで必死に「役に立つ」側に立とうとする、非常に脆弱な社会なんです。